イラン人の国家観(メモ)

上岡弘二「「私は、何者か」――イラン人の帰属意識と国家意識――」(in 飯島茂編『せめぎあう「民族」と国家 人類学的視座から』*1アカデミア出版会、1993、pp.37-58)



イランのシーア派、すなわち、一二イマームシーア派の教義では、九世紀後半にお隠れになった、最後の第一二代イマーム・マフディーがこの世に再び姿を現わすまでは、すべての世俗権力は悪であり、正当性を持たないとされる。すべての支配者や権力者は、悪人か、どんなによくとも、本物とは比較にならない、第一二代イマームの不完全な代理人に過ぎない。(p.53)

「市場があれば、国家は不用」とは、藤原新也(一九八三)*2の言葉である。バザール(市、市場)が成立するためには、異なる自然生態系、異なる言語文化とそれに伴う独自の帰属意識を持つ人間集団の存在が前提になる。本来、バザールは、このそれぞれの独自性を持った対等な人間集団の出会いの接点に、物と情報の交換の場として成立したものである。シーア派教徒に限らず、イラン民衆の伝統的な国家観は、国家とは、権力者がそれを操って私腹を肥やすためのものであり、バザールが維持される限りにおいて、国家権力は弱いほどよい、とするものである。国家は、バザールを成立させるための最小の必要条件としてのみ、いわば、必要悪としてその存在が承認される。どれほど立派な国家があっても、バザールがなければ、なんの意味もない。若い日の藤原新也の体験的な直感は、このイランだけでなく、中東全体に一般的な民衆の国家観を見事に言い当てている。(pp.54-55)

さらに、国家の枠を越えて人と物の自由な流通が可能でなければ、バザールはうまく機能しない。できれば、国家の枠などはないのが望ましい。イラン人には、パフラヴィー王朝ががむしゃらになって推進したような、他の国の人間集団を対立者として認識することによって成立するナショナリズムや中央集権的な国民国家は似合わない。そして、イスラム革命以降、イランの現政権が進めてきた、イスラムがすべてに優先するような、新しい形の宗教国家も、それとほぼ同じように、最終的にはイラン人には馴染まないであろう。事実、イスラム革命後、すでに一二年が経過した今日、平均的なイラン人が、以前に比べて、それほどイスラム的になったわけでもないのである。また、もともと伝統的に宗教色の薄い遊牧民は言うに及ばず、クルドもあまり宗教的ではない。「異教徒に比べればクルドイスラム教徒」という諺の示す通りである。(pp.55-56)
〈革命〉的なイランについては桜井啓子『現代イラン』をマークしておく。
現代イラン―神の国の変貌 (岩波新書 新赤版 (742))

現代イラン―神の国の変貌 (岩波新書 新赤版 (742))

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080619/1213846922

*2:『全東洋街道』。私は未読。