Zizek on 68

承前*1

http://neshiki.typepad.jp/nekoyanagi/2008/06/post-8795.html


Slavoj Zizek “La véritable leçon à tirer de Mai 68”*2の翻訳「68年5月から学ぶべき真の教え」。英→仏→日。
ジジェクの言っていることはわかりやすいのかわかりにくいのかよくわからない。1960年代の思想・運動と現在の新自由主義との関係については、ジジェクが以前書いた


”Nobody has to be vile” http://www.lrb.co.uk/v28/n07/zize01_.html *3


における”liberal communists”批判と関連があるだろし、こちらの方が詳しい。
また、「2005年秋に起き、広域での暴力の爆発で数千の車が炎上したフランス郊外の暴動時に衝撃的だったのは、暴徒たちの肯定的ユートピア展望の完璧な不在である」とあるが、これについては、『人権と国家』に収録された「パリ暴動と関連事項にまつわる、物議を醸す考察」*4に詳しい。

ところで、このテクストは、

68年5月、パリの壁に書かれたグラフィティのうち最も知られたもののひとつはこう言っていた:「構造は街をデモらない!」−言いかえれば:1968年の学生と労働者によるデモンストレーションは、構造主義の語彙によって、社会の構造的変動によって引き起こされた現象としては説明できないだろう。

かしジャック・ラカンの答えは、1968年に起こったことはまさにそれだと主張する:構造が街に繰り出したのだ。

可視の爆発する出来事は結局のところ構造的不均衡の結果だった−ラカンが支配者のディスクールから大学のディスクールへの移行(passage)と定義する、ある支配形態からもうひとつの支配形態への移行だった。 この懐疑的ヴィジョンは根拠のないものではない。

という書き出しから始まっている。しかし、「構造」という言葉の意味は微妙で、「構造主義」用語としての「構造」と一般的な社会学用語としての「構造」は違う。
小田亮レヴィ=ストロース入門』から少し引用してみる;

「構造からの解放」とか、あるいは「日本文化の構造に根ざしたもの」とかいった言い方は、レヴィ=ストロースのいう〈構造〉からは出てくるはずのないものなのである。さらい、「ある社会の親族の構造」とか「ある神話の構造」といった用法も、構造主義の〈構造〉という概念からはずれている。これらの用法では、構造という語は、体系(system)とほとんど同じ意味に使われているが、レヴィ=ストロースの〈構造〉概念は、体系(system)とはっきり区別されているものである。それは、建物の構造などというときのように、一つの体系だけを観察していたのではみえてこないものであって、ある一つの社会の構造とか、ある一つの神話の構造はこれだという言い方できないような概念なのである。(pp.45-46)

構造における不変性(「他の一切が変化するときに、なお変化せずにあるもの」)とは、体系のなかに最初からみいだされ、いろいろ変換しても変換されずに残る固有のものという意味ではない。構造という見方においては、変換されえないものなどなく、体系を構成する要素も要素間関係も、一切のものが変換しうる。つまり、要素も要素のあいだの関係もすべて変化しているにもかかわらず、そこに現れる「不変の関係」という不思議なものが〈構造〉ということになる。
けれども、これが不思議なものに見えるのは、一つの体系のみを考えるからである。(略)構造における不変の関係とは、一つの集合(体系)から別の集合(体系)へ移行する関係のことである。構造の探究(すなわち構造分析)とは、一つの体系と、それとは別の体系のあいだに変換の関係をみいだすことにほかならない。つまり、この変換の関係が不変の関係と呼ばれているものなのであり、変換のないところに不変なものもみいだせない――したがって構造もまたない――のである。(pp.48-49)
レヴィ=ストロース入門 (ちくま新書)

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