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承前*1

naoya_fujita「加藤智大は格差社会の代弁者ではない」http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20080609/1212966011



  まず、彼が若年者雇用の鬱屈の表現者であるならば、なぜ犠牲者は同じく若年者を狙ったのか。資本主義の祝祭都市で消費を享受しているから敵だと思ったのか。本来狙うべき敵はエスタブリッシュ層や経済エリートなどではないか。もちろん、通り魔なんてまったく肯定はしないが、もし仮にやるとしても、本当に最後の手段として暴力を使うとしても、被害を最小限にして効果を最大限にするべきで、本当にやるんだったら経団連を爆破とか国会に突入とかするべきなのだ。なぜしなかったのか。近づけないからである。

   エスタブリッシュメント層は、公的、私的にセキュリティを上げている。ゲーテッドシティにしたり、警備員をつけたり、監視カメラをつけたり、オートロックにしたりである。私のような貧乏人はオートロックには住めない。これはどういうことか。つまり、通り魔をやっても、殺されるのは貧乏人だけということになるのだ。セキュリティを金で買う余裕のない人間が、最も殺されることになる。ということは、エスタブリッシュメント層にしてみたら、貧困をケアすることによるリスクの低下(暴動をしなくさせたり左翼革命を起こさせなくする)ということに金を出すより、自分たち自身のセキュリティを上げて、貧困な人たちは貧困な世界で殺しあえばいい、という風に、分断するつもりだと思われるからだ。これがセキュリティ社会だ。だから、「あんまり貧困に追い詰めてるとここまで鬱屈して爆発するんだぞ!」という恫喝も無効なのだ。「だったらセキュリティ上げて君たちを排除する」となる。すると本来の敵ではなく味方同士で殺しあうことになる。今回の通り魔など、その地獄絵図だ。

   だから僕は赤木智弘さんの「希望は戦争」のように、「あんまり追い詰めると爆発するぞ!(だから金銭配分したほうがリスク回避になりますよ)」という恫喝には一定の効果しか認められないと思うし、今回の事件にもそう思う。それに、通り魔をする前に、社会運動をする、デモをする、小説を書く、演説をする、投票をする、ブログを発信する、その他その他、あと精神的なものなら精神科に行くなど、できることはまだたくさんある。安易に通り魔を代弁者として賛美してはいけない。その前にやるべきことなど、大量にあるのだ。そして世界を変えていくほうが、通り魔なんかよりずっと有効である。

そういえば、原尻英樹『コリアンタウンの民族誌』によれば、LA暴動の際、群集は最初ビヴァリー・ヒルズを目指していたが、「セキュリティ」に阻まれ、引き上げる序でに韓国人街を襲撃したという。
コリアンタウンの民族誌―ハワイ・LA・生野 (ちくま新書 (239))

コリアンタウンの民族誌―ハワイ・LA・生野 (ちくま新書 (239))