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http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080606/1212728195へのブックマークのコメントで、私が引用した
という西垣通氏の発言に絡んで、「政治論抜きのメルロ=ポンティって、オーソドックスもいいところじゃねえの?」とmadashan さん。たしかに、最近はメルロ=ポンティは例えばアフォーダンス絡みとかで、「政治」抜きで言及されることが多いのではないかと思いますけれど、やはりメルロ=ポンティの「オーソドックス」な論じられ方においては、「政治」への論及は不可避だったのではないでしょうか。彼の遺稿管理人は政治哲学者のクロード・ルフォールですし*1。また、認知科学絡みで現象学を読むというのも、少なくともヒューバート・ドレイファス以来ということで、それ程新しいことではないでしょう。それから、「「やっぱりサルトルよりもメルポンだよね」って、20年ぐらい前からみんな言ってたと思うけど?」と猿虎さん。40年前以上前から? というか、レヴィ=ストロース先生が『野生の思考』をメルロ=ポンティに奉げて以来?
一方、論理実証主義とかかわってきた流れの中に、情報・認知・脳といった先端科学の問題圏が拡がっている。これと、生きる意味にかかわる問い、実存主義的な問題圏のあいだには、実は時代をになう回路があるのではないか。(略)そして、実存主義と論理実証主義とをむすぶ鍵は、サルトルではなくメルロ=ポンティであったと思っているんです。サルトルの政治論よりは、メルロ=ポンティの知覚論・身体論の方が、少なくとも現代的です。
また、nesskoさん曰く、
何なんでしょうか。私は「町場の哲学」云々ということで、竹田某とかを思い出したのですが、違うのでしょうか。
「いま売れている哲学書」って何? 最近の図書関連のニュースだと、哲学や文学のいわゆる古典ものが急に売れ出したとか言ってたように記憶してるんだけど。前より売れてるってだけで数は少ないのかな?
ところで、中国では今マルクス・アウレリウスの『沈思録』(日本でのタイトルは『自省録』)が売れている。先月は、大きい本屋では、温家宝総理座右の書というキャッチ・フレーズで平積みになっていた。今月はさらに英訳と中訳をセットにした新しいヴァージョンが出ていた。