小達スエさん

夕刊フジ』の記事;


夏目雅子さんの母、小達スエさん死去…ひまわり基金設立(夕刊フジ



 故夏目雅子さんの母、小達スエ(おだて・すえ)さんが10日午後8時58分、進行性核上性まひのため東京都港区の病院で死去した。74歳だった。雅子さんが白血病のため、27歳の若さで死去した8年後の1993年に「夏目雅子ひまわり基金」を設立するなど、娘の遺志を生かした活動を続けてきた。

 「ひまわり基金」は、夏目さんが好きだった花にちなんで命名した。抗がん剤作用で髪の毛を失った患者へかつらの無償貸与や骨髄移植の啓発、ドナー登録の呼びかけを行ってきた。

 裕福な家庭で夏目さんを育てたスエさんは、当初、芸能界入りに反対だったという。夏目さんが病に倒れたときも、芸能界の多忙さを恨んだとも。だが、亡くなった後もファンに慕われ続けたことから「こんなに娘のことを思っていてくれて」と基金の活動に力を尽くすようになった。

 「夏目さんが闘病中に、安らいだ表情を見せる写真は、スエさんが撮影した、と聞きました。病床で最後まで気丈だったのも母ゆずりだったのでしょう」と話すのは芸能リポーター梨元勝氏。

 2000年には十七回忌献花式が盛大に営まれたり、生誕50年だった昨年にはスエさんが綴った『ふたりの雅子』がTBS系でドラマ化されたり、と夏目さんは人々の記憶にとどまり続けた。

 芸能評論家の肥留間正明氏が語る。「スエさんは、前途有望な女優だった娘の人生をもう一度たどりながら思い出の写真や絵、闘病生活などを語り公開した。それは病に倒れた娘の悔しさ、無念さを伝えていく使命感のようにみえた」

 雅子さんは亡くなる前年の84年に人気作家の伊集院静氏(58)と結婚した。「『檸檬』を漢字で書いた伊集院さんの教養にほれた−というエピソードは有名です。お母さんはこの結婚をとても喜んでいた。娘も人生を全うできたと思ったのでしょうね」(肥留間氏)

 スエさんの長男、一雄さんが女優、田中好子(52)が結婚したときも、“女優の母”として田中を思いやり、娘のようにかわいがった。次男の敏昭氏はプロゴルファー。

 ■葬儀・告別式は14日正午から東京都文京区千駄木5の19の5、在家日蓮宗浄風会館で。喪主は長男、一雄(かずお)氏。




[夕刊フジ:2008/05/12 17:31]
http://sports.nifty.com/cs/headline/details/et-fj-320080512004/1.htm

ある時期、「在家日蓮宗浄風会」の調査に参加していて、週に2回くらい(上の記事にもある)千駄ヶ谷千駄木の「浄風会館」に通って、昔の教団資料の抜書きをしていた。その調査の一環として、 川又氏と小達スエさんにインタヴューをさせていただいたことがある。勿論、そのインタヴューはお嬢様についてのものではなく、小達家について、教団史についてのものだったが。その時の小達さんのフランクな語り口は印象に残っている。川又氏がテープから起こして整理したこのインタヴューは、


東洋大学大学院西山ゼミ浄風会調査プロジェクト編『純粋在家主義運動の展開と変容−−本法会・浄風教会の軌跡−−』東洋大学社会学部西山研究室、2005.*1


という報告書に収録されていることを申し添えておく。