四十九日はまだ

井口エリ*1「ポケベルの葬儀に参列した」https://dailyportalz.jp/kiji/funeral-of-pocket_bell


曰く、


1990年代にブームとなった無線呼び出しサービスのポケットベル(ポケベル)*2。そんなポケベルが9月30日にひっそりサービスを終了した。

サービス終了前日の29日、東京・秋葉原では「みんなのポケベル葬」*3がしめやかに行われた。

まだ四十九日にもなっていないということか!

ポケットベル(ポケベル)は特定の手順によって、電波で小型受信機(通信機器)に合図を送る通信機器で、1990年代にブームを迎えた。

実物を見たことも触ったこともない私は、ポケベルは“過去の遺物的なアイテム”だと思っていた(ごめんなさい)。なので、いまだにサービスが続いていたことにまず驚いた。どうやら関東のみで1500回線が主に医療関係の現場で最近まで使われていたのだとか。

私自身もポケベルは使ったことがない。印象としては、最初は外回りサラリーマン監視ツールだったのが、何時の間にかティーンエイジャーのコミュニケーション・ツールとなっていたという感じだ。実は、そういう変容が注目されたのは、Windows 95がリリースされて、これからはインターネットだと騒ぎ始める直前だった。最初のうちは、インターネット接続も敷居が高く、誰もがネットを使うというのはi-Mode以降のことだろう。ポケベルの時代というのはそうした数年間の過渡期だったということになるのだろうか。そういえば、『ポケベル・ケータイ主義』という本が1997年に刊行されていた。
ポケベル・ケータイ主義!

ポケベル・ケータイ主義!

さて、この「ポケベル葬」を主催したのは、東京の葬儀屋の業界団体である「東京都葬祭業協同組合」*4で、記事の後半は「都葬協」の渡邊幸次氏へのインタヴューになっている。葬儀屋の仕事における「ポケベル」の役割とかはとても興味深い。「ポケベル葬」というのは葬式としてちょっと変な感じがして、興味深かった。先ずは仏教的な雰囲気の排除。仏僧はいないようだし、お焼香もない。お焼香の代わりに「献花」。これはちょっと基督教っぽい。しかしながら、「おきよめ塩」はちゃんとある。基督教では死を浄めるべき穢れとは捉えないだろう。仏教でも死は穢れではないのだけど。