少年漫画か

のだめカンタービレ in ヨーロッパ [DVD]

のだめカンタービレ in ヨーロッパ [DVD]

承前*1

数週間前に『のだめカンタービレ in ヨーロッパ』を視た。TVドラマの『のだめ』に関しては、


ストーリーとしては、所謂〈学園物〉の定型を外していないというか、そのまんま東(とオヤジ・ギャグ)。それに子ども時代のPTSDの克服という趣向も加えられているというのは今の時代らしいか。ただ、視聴者に〈クラシック音楽〉について啓蒙してやろうという意図が千秋のオフ・ヴォイスを通じて表現されているのがうざいといえばうざい。
と書いた。また、『のだめカンタービレ in ヨーロッパ』に関しては、実物を視る以前に「その皮相なおちゃらけぶり、情感の欠如、そして何よりも音楽性の欠如に愕然とした」という浜地道雄という方の論*2に言及した。「その皮相なおちゃらけぶり」にむかつくというのはわからないでもないが、TVドラマ(一般)が別に〈啓蒙〉のために存在しているのではないのだから、それによってドラマを批判したことにはならないということはいえるだろう。「その皮相なおちゃらけぶり」が楽しいのだという人もいるかもしれない。しかし、amazon.co.jpのレヴューとかを見ると、マジで感動しちゃっている人も多いわけで、それはそれで論議する価値があるのだろう。さて、前回は「所謂〈学園物〉の定型を外していない」という評価を下したのだが、今回視て、この原作が〈少女漫画〉である筈なのに実際は〈少年漫画〉の匂いがぷんぷんするぞと思った。もっと言えば、〈少年漫画〉の中でも〈スポーツ根性物〉というジャンルであり、たしか〈友情・団結・勝利〉といった(だったっけ?)『少年ジャンプ』精神そのまんまじゃんと思ったのだ。つまり、テニスだとか野球だとかいったスポーツが〈音楽〉に置き換わっているだけなのだ。だからといって、それが悪いとはいわない。
あと、思い出したのは〈赤毛物〉という言葉。シェイクスピアだとかチェーホフだとかの芝居をやるとき、日本人が髪の毛を染めて(或いはオキシフルで脱色して)西洋人を演じていた。しかも(しかし)科白は日本語。これは距離化して考えれば、それなりのキモさ(及びそれ故の批評性)を感じるだろうが、かつては(そもそも新劇を「おちゃらけ」た態度で観ること自体が許されなかったわけだが)大文字の〈文化〉としてありがたく享受していたわけだ。しかしながら、〈赤毛物〉としての『のだめカンタービレ in ヨーロッパ』はそうしたphonyぶりもお笑いのネタとして最初から計算されており、その意味で〈西洋〉からの距離を巧く取っているといえる。それがまた浜地氏のような人をむかつかせるのかもしれない。