淞滬会戦70年

“70 years ago today in Shanghai…” Shanghai Daily 13 August 2007


昨日(8月13日)は淞滬会戦(日本的には「第二次上海事変*1)が勃発して70周年。http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070811/1186817046で言及した小津安二郎の話も淞滬会戦70周年の関連報道ということになる。これに先立つ盧溝橋事件に続く淞滬会戦によって抗日戦争の火蓋が本格的に切られたといってよいが、大々的に記念行事が盛り上がっているというわけでもないようだ(但し、まだ8月14日の新聞などは見ていない)。
上の記事を読むと、11月には上海(の非租界部分)は陥落し、日本軍に占領されてしまうのだが、淞滬会戦の中国での位置づけというのは、多大な損害を出しつつも上海が3か月に亙ってふんばったおかげで、国民政府が首都機能を南京から武漢(但し、当時はまだ武漢という地名は存在しない)、西安、さらには重慶へ避難させる時間を稼ぐことができたということだということを知る。
http://history.163.com/07/0813/09/3LP1T6UP00011247.htmlは「八百壮士」最後の生き残りへのインタヴュー。また、上海市政府のhttp://www.shanghai.gov.cn/shanghai/node2314/node2315/node4411/userobject21ai227656.htmlもマークしておく。
因みに、淞滬会戦の淞は淞江の略で、淞江は上海を東西に流れる蘇州河の別称。