高校で韓国語ブレイク

『読売』の記事なり;


高校で中国語・韓国語授業が急伸、10年で3倍に


 全国の高校で、中国語や韓国語の授業を行う学校が急増している。

 文部科学省によると、その数は800校を超え、履修する生徒も約3万人にのぼる。

 明治以来、英語以外の外国語教育では主流だったドイツ語やフランス語を押しやる勢いで、「中国や韓国との友好を深めることにもつながる」と期待する声は多い。

 文科省の調査によると、1995年に中国語を教えていた高校は192校だったが、2005年には約3倍の553校に。韓国語を教える高校も73校から約4倍の286校に急増した。一方、フランス語とドイツ語を教える学校数の伸びは鈍く、フランス語は147校から248校、ドイツ語は75校から105校にとどまっている。

 大学入試センター試験の外国語の受験科目も、当初は英語、フランス語、ドイツ語だったが、1997年に中国語、2002年には韓国語が加わった。英語を除く今年の受験者数は中国語、韓国語、フランス語、ドイツ語の順に多かった。

 こうした変化について、文科省は「中国、韓国との経済・文化交流が盛んになっていることを背景に、国際理解教育に力を入れる学校が、身近な地域の言語を選んでいる」と分析する。

 中国語や韓国語を教えている高校の大半は、選択科目として週に1〜2回の授業を行っており、教師のグループが自主製作した教科書を使っているという。

 進学校として知られる東京都立日比谷高校では、2年生を対象に中国語と韓国語を教えている。学ぶ動機は様々で、中国語を学習している生徒は「将来の仕事に役立ちそう」と語り、韓国語の履修者は「難しい文字を読めるようになりたい」と話す。同校の長沢直臣校長は「視野が広がったほうが人間として成長できる」と期待する。

 一方、不登校や中退経験者を積極的に受け入れる都立六本木高校は、「英語でつまずいた生徒には、アルファベットでない文字のほうが抵抗感がないのでは」との思いから、2005年の開校と同時に中国語と韓国語のコースを用意した。

 このほか、在日韓国・朝鮮人や中国人が多く住む地域の高校が、生徒にこうした人たちへの理解を深めさせることを目的に、授業を設けるケースもある。

 外国語教育を推進する財団法人国際文化フォーラム(東京)の中野佳代子事務局長は、「若いころから近隣国の言葉を学ぶ人が増えることは、友好関係、協力関係を強めることにつながる」と評価している。

(2007年7月11日14時39分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070711i306.htm

大学の第二外国語やTV講座では、「韓国語」ブームはピークを過ぎたということらしいが*1、高校の語学科目としては「韓国語」はブレイクしている。その背景としては、記事にもあるように、1997年の中国語に続いて、2002年に「センター試験」の受験科目に韓国語が付け加えられたということもあるのだろう。高校のレヴェルで学べる語学の選択肢が拡がっているというのは慶賀すべきことである。
興味深いのは、

一方、不登校や中退経験者を積極的に受け入れる都立六本木高校は、「英語でつまずいた生徒には、アルファベットでない文字のほうが抵抗感がないのでは」との思いから、2005年の開校と同時に中国語と韓国語のコースを用意した。
という一節。でも、中国語を学ぶ場合、ピンインを覚えるのは必須だと思うのだが。ピンインがわからないと辞書を引くのも難しいし、中国語のコンピュータ入力にもピンインの知識は必要だ。それはともかく、そういうものかという感じがした。私などは、ハングルではなくて羅馬字で表記してくれた方が韓国語に親しみが持てるとは思っているのだが。
さて、私の高校時代、英語以外の仏蘭西語とか独逸語とかを教える高校というのは、一部のミッション系を除いて、なかったような気がする。大学に入っても、所謂一般教養の語学は、英語のほかには仏・独・中だけだった。勿論、専門と結びついた語学ということで、印度哲学科ではサンスクリット語パーリ語及びチベット語が必修だったし、哲学科では(必修ではなかったが)希臘語や羅典語の授業があった。しかし、その他の学部学科では語学のカリキュラムというのはかなり問題だったといえるだろう。私の知り合いで、史学科で西班牙内戦についての卒論を書いた人がいたが、彼女が使った文献や資料は日本語と英語。卒論だったからそれでも済んだのだろうけど、修士論文レヴェルで、全く西班牙語の資料を参照せずに西班牙を論じた論文などは許容されないだろう。しかし、当時私が通っていた大学では西班牙語の授業というのは全くなかった。東京にある大学だったので、やる気があるなら、そこらに語学学校も沢山あるじゃないかということはいえるのだろうけど、田舎にある大学だと、それは難しいだろう。バスク語とかアイスランド語といったマイナーな言葉ならともかく、西班牙語にしてもアラビア語にしても、少なくとも世界のメジャーな言葉の基礎は、学生の専門研究の基礎を支援するという意味で、学内で学べる体制を構築することはuniversityを名乗る大学としてはmustなのではないかと思う。
ところで、最初の記事だが、さりげなく「韓国語」という言葉が使われている。韓国語か朝鮮語かというので揉めて、NHKの場合は言葉じゃなくて文字を教えるのかという感じの講座名になってしまったわけだが、ここでいう「韓国語」というのは平壌ではなくてソウルの方言をベースにした大韓民国の標準語に準拠したものということでいいのですか。