比較可能性/代替可能性(メモ)

「きはむ」氏の「比較不能性など存在しない」http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-340.html


長谷部恭男氏の所説を批判する。長谷部氏は「代替不能性と比較不能性を混同している」;


かけがえのないものは、比較不能であるように思える。けれども、私たちは実際、かけがえのないもの同士の間で選択を迫られることが多いし、選択の際には何らかの形で比較をしている。そうである以上、代替不能性は比較不能性とは異なる。友人と恋人を比較して、いずれかを選んだということは、他方をかけがえのないものであるとは考えていない、ということを意味しないのである(逆に言えば、何かを代替不能であると見做すことは、それが他のものと比較不能になることを意味しない)。

さらに言うならば、私たちは常に様々な制約の中で無数の選択を行っていかねばならず、その際には何らかの基準を設けて比較を試みているはずである。そして、比較の対象には、代替不能なものも含まれる。つまり、私たちにとって、比較不能性など存在しない。存在するのは、代替不能性だけである。

多分、問題はそういうことよりも、「比較」において普遍的に妥当する〈公式〉が存在するか否かということであろう。

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