ファッションについて(メモ)

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070507/1178561806に関連して、


http://fragments.g.hatena.ne.jp/nogamin/20070507/p1
http://fragments.g.hatena.ne.jp/nogamin/20070510/p2
http://fragments.g.hatena.ne.jp/nogamin/20070510/p6


をマークしておく。共感できる指摘。また、このnogaminさんという方は「自分のからだに対する意識と自己愛」に言及されているが、これについては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060312/1142190612で、「ファッションには他者に向けての側面だけでなく、私の身体にとっていちばん身近な外部としての衣服のフィットやアンフィットを悦しむという、ある種オートエロティシズム的な快楽の側面があること」と一応書いておいたことを思い出した。ところで、「男性でオシャレな人を男性が「あいつはオシャレなんかしやがって、しょせん女にもてたいからだ(またはあいつはきっとホモだ)」というような(実際そう言っているおじさんを見たことがあります)男性のオシャレに対する同性の差別的視点」――この問題にはホモフォビアという問題も絡んでくるのか。
あと、興味深いコメント
――「そもそも「美」とか「アート」って観点を完全に排して「ファッション」を語るのがびっくりというか、例えば美ってものをなんだと思ってるんだろうって感じる」(by Marco11*1
――「確かに、マンガとかアニメとか所為「オタク趣味」には過剰に文学性を読み込むのに、「ファッション」とかになると途端に表層的な解釈しかしなくなりますよね」(by inumash*2
ところで、http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20070510/1178787876について形式的にいうと、個人的な主観性(主体性)を脱中心化したはいいけれど、それと引き替えに社会的な主観性(主体性)を中心化或いは実体化してしまっているという(悪しき意味での)社会学主義に陥っている。さらに、それを経由して、〈眼差す者〉の個人的な主観性(主体性)を再び中心化或いは実体化してしまっているということになる。