山崎正和 on 道徳教育

『毎日』の記事;


中教審会長:「道徳教育と歴史教育は不要」

 中央教育審議会文部科学相の諮問機関)の山崎正和会長は26日、東京都千代田区の日本記者クラブで講演と記者会見を行い、個人的な見解と強調した上で、小中学校での道徳教育と歴史教育は不必要との考えを示した。さらに、政府の教育再生会議論議している道徳の教科への格上げにも否定的な見解を述べた。

 山崎会長は道徳教育について、賛否の割れる妊娠中絶の是非などを例示して「『人のものを盗んではならない』くらいは教えられるが、倫理の根底に届く事柄は学校制度(で教えること)になじまない」と指摘。「代わりに提案しているのは、順法精神を教えること。『国の取り決め』として教えれば良い」と持論を展開した。

 現在行われている道徳教育の必要性を問われると「現在の道徳教育もいらないと思う。道徳は教科で教えることではなくて、教師が身をもって教えること。親も含めて大人が教えることだ」と述べた。

 歴史教育についても、稲作農業が日本で始まった時期が変遷していることなどを指摘し「歴史教育もやめるべきだ」と述べた。【高山純二】

毎日新聞 2007年4月26日 20時29分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20070427k0000m010107000c.html

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070418/1176911089とも関連するが、「道徳教育」に関しては正論であるといえよう。「歴史教育」について言及している部分については、もう少し情報が欲しい。この記事の書き方はあまりに唐突だ。
山崎氏は現代日本における代表的な保守主義の思想家であるといえるが、山崎氏が凡庸な右翼(左翼も?)と隔たっているのは、氏が旧満洲国のコスモポリタンな雰囲気の中で初等・中等教育を受けたこととも関連しているか。80年代に出された『柔らかい個人主義の誕生』は現在でも真剣に読まれるべき価値を有しているのではないか。
柔らかい個人主義の誕生―消費社会の美学 (中公文庫)

柔らかい個人主義の誕生―消費社会の美学 (中公文庫)

また、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070327/1175000516で触れた山崎氏の「無責任男」への言及は『おんりい・いえすたでい’60s』。「道徳」に関連して、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070426/1177530648絡みで、

「すべての人は救われるべきである」という倫理的命題は肯定しよう。しかし、「人はすべての人を救わなければならない」などという命題を振り回すのは倫理的暴力であろう。これらの言説は、自省の身振りで無理な命題を立ててしまっているのである。人は神様ではない。

まずは不可能を受け入れ、ちゃんと絶望して2つの命題の違いを認識すべきだ。そうでなければ、前者を軽んじることにもなりかねない。


倫理は磨くモノであって、振り回すモノではない。危ないからね。
http://d.hatena.ne.jp/z0rac/20070426/1177576498

神が他界に隠居してしまったために、個人の双肩に全世界の重量がのしかかるのが近代であるともいえる。越後獅子の親方だって、そんな無体なことはしないのだが。