「色里の倫理」など(メモ)

性家族の誕生 (ちくま学芸文庫)

性家族の誕生 (ちくま学芸文庫)

川村邦光『性家族の誕生』*1からのメモ。
先ず江戸時代の「色里文化」(「色道」)と倫理を巡って;


色道のなかで切り拓かれてきた男女の作法を、一概に封建的な女性蔑視のものだと片づけることもできない。そうするのはたやすいが、民衆自身がはぐくんだ生活倫理の可能性を全面的に否認し、おとしめてしまうおそれがあろう。西鶴の作品から、「愛情の倫理と美意識」を析出している、高尾一彦の見解*2をあげてみよう。
色里での”遊び”のスタイル、すなわち色道・粋は”恋”を基本とする。じつに、この”恋”には、金銭によって媒介されていたとはいえ、遊女と客のあいだに倫理的な規制が設けられていた。(1)客はひとりの遊女との恋愛中に、他の遊女と遊ぶことができなかったこと、(2)客がなじみの遊女と縁を切るためには、総統の理由を必要としたこと、(3)遊女は嫌いな客をふってもよいとされていたこと。すなわち、色道・粋の根底には、男女双方の倫理意識として、”まことの心”があり、それにもとづいて、たがいに”情”をかけあい、男女の共感をつねに心掛ける、倫理=美意識が成立しているのだ。
これを色里だけにかぎられた倫理的な男女関係とみなすことはできない。高尾によると「倫理的制約や人間らしい主張を内包した男女の愛欲の情生活が、庶民によって意識され、それが倫理意識や美意識として発達しはじめているという歴史的状況」(前掲書*3)が生みだされていた。こうした”恋”や”まことの心”を大切にする好色が、身分違いの恋愛を不義とする、封建的な身分制度を諷刺し批判する、民衆の社会意識をもはぐくんでいったのである。
”恋”を切に求めた色道の恋愛、”遊び”は、”まことの心”や”情”を基盤にした、民衆の”女夫*4”関係の倫理意識への自覚に根ざしていた、とあらためて見直すことができる。そして、色道の美意識は、庶民の”女夫”関係に還流して、その倫理的意識を洗練させていったのである。(後略)(pp.36-37)
この本は「セクシュアリティの近代」を副題とする。「セクシュアリティの近代」という枠組において、「従軍慰安婦」問題*5はどのように語られているのか。近代における「男根神話」と「子宮神話」に関係づけられながら語られている;

(前略)子宮神話と男根神話は(略)日中戦争が始まるとともに、姿を変えていくことになる。過剰な”男らしさ”と”女らしさ”へと変貌し、いわば病的に肥大していくのである。”男らしさ”は男根をシンボルとした父性・攻撃欲、”女らしさ”は子宮をシンボルとした母性・母性愛へと昇華されていくことなる。
過剰な”男らしさの病”は、いうまでもなく戦場で発揮された。それはたんに戦闘の場面ばかりでなく、戦地での強姦として、また強制連行した朝鮮人女性を主とする”慰安婦”に対して行なわれた。彦坂諦が著わした『男性神話』にみごとに明らかにされているように、男根神話にもとづいて、男は性欲のはけ口を求めるとして、戦場で強姦が許容され、またそのはけ口を与えてやらなければならないとして、”慰安婦”が使役されたのである。”男らしさ”の過少と過剰の両極に位置したインポテンツと強姦は、いずれにしても”男らしさの病”にほかならなかったのだ。
”女らしさ”の過少は不感症・不妊症になろう。その対極の過剰は、男を不在とする聖母マリアあるいは神功皇后のような、母性・母性愛になろう。戦中に、マスメディアを中心にして、男ばかりでなく、女性自身によっても、母性や母性愛は日本女性の固有の特質として、大いに称揚され喧伝された。母性や母性愛の謳歌の影に隠れ、あるいはその幻影に浸って、男はやすやすと強姦をしまくり、”慰安婦”を酷使しつづけ、他方では幻想的な母の面影を胸にいだいて死を甘受したのであった。(pp.204-205)