Oh, Henry!

http://henrryd6.blog24.fc2.com/blog-entry-467.html


http://d.hatena.ne.jp/dj19/20080727/1217163442にて知る。Oh, Henryについてはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080131/1201781124でもちょっとおちょくっておいたのだが、Oh, Henry本人よりも、コメントを書いている「山本さゆり」という人の逝きっぷりがすごいと思った。曰く、


タルムードは父から子に口頭で伝えられた人生の裏技の教えで、ユダヤ民の中に広まった。本来ユダヤ教徒は無関係な物であった。その教えは書物にせずユダヤ意外に漏らすことも禁じられた。しかしユダヤの東方移住により中国にもたらされ出来たのが儒教だった。タルムードも一族により色々あり経験が積み重ねられ色々出来た。

それでそれを聞いた人々が作り上げたの儒教で色々ある。その教えにより多くの宗家ができたのです。本来防衛的であったり商売など成功する秘訣であったのが、アーリア人ユダヤアシュケナージ、、阿修羅)に伝わりアーリアの残虐性とアーリア至上主義により攻撃的なものに変っていった。儒教にも色々あるが攻撃的なものから防衛的なものまで有るのはそのせいである。

アーリア人の中国移住が最高潮だったのは紀元前2世紀頃から紀元0年頃でそして秦ができた。日本にもその一族が来襲して古代日本の豪族や神官や官吏に成った。平和な島国ではタルムードの必要性が無くその思想は絶えた。唯一の残ったのは防衛的な墨子思想などであり鎖国などもその思想に沿う物だった、しかし江戸時代の儒学者達は危険な攻撃的儒教を引き込んだ、それにもユダの戦略が推測される。そして作られたのが混乱だった。

これは私にとっては東洋思想史のパラダイム転換なのですけど。因みに言っておけば、非中国的なものと見なされ、挙げ句の果てはユダヤ起源(墨子=モーゼ)という説まで出てきたのは寧ろ墨家の方なのですが*1。また、「中国思想においては儒家道家もゆるやかな無神論と見なせる立場を取っていたのに対して、墨家だけは明確に一神教的な立場を取っていた」*2
ところで、山本五十六が「フリー・メイソン」なんですか。「フリー・メイソン」にお馬鹿な「陰謀論」が群がるというのは、一面では専門の歴史学者の責任ということもあると思う。「フリー・メイソン」についてちゃんと概説した新書レヴェルの本というのは(管見の限りは)ないんじゃんないか。勿論、18〜19世紀の歴史を扱った本で部分的に言及されていることは多いと思うが。「フリー・メイソン」とは寧ろ「知的社交組織」であり、会員になれば各国のロッジで国籍や宗教に関係なく歓待された(工藤庸子『宗教 vs. 国家』、p.112)。寧ろイメージとしては、人権団体+国際ホテル・チェーンという感じである。因みに、有名人会員としては、モーツァルトゲーテがいる。工藤さんは、「フリー・メイソン」に関する文献として、深沢克己「移動する人とフリーメイソン世界共和国」(工藤庸子、池上俊一編『都市と旅――フランス語で世界を読む』放送大学教育振興会、2005)を挙げているが、勿論未読。
宗教VS.国家 (講談社現代新書)

宗教VS.国家 (講談社現代新書)

それから、Oh, Henryもネタ本にしているようだが、大元は副島隆彦*3なんだな。
さらにいっておくと、今更ユダヤ陰謀論やら「フリー・メイソン」やらを無邪気に語っているというのは、オウム真理教事件が知的に総括されていないということなのだ。お前ら、ヘッド・ギアをつけて修行しろよ!