作為墨子門徒的王小波

承前*1

小波は「知識分子的不幸」(in 『思想者説 王小波 李銀河双人集』*2)というエッセイの中で、自分が「墨子門徒」であると語っている(p.39)。その理由は2つあり、一つ目は「他思路〓*3密」であること、二つ目は「他敢赤裸裸地談利害」ということ(pp.39-40)。
「他思路〓*4密」について;


有人説他発現了小孔成像――假如是真的、那就是発現了光的直線伝播、比朱子只知陰陽二気強了一百多倍――只可惜没有完備的実験記録来証明。〓*5外、他用微積分裏較老的一種方法来論証無窮(実際論兼愛是可能的。這種方法叫徳爾塔−依伏賽語言*6)、高明無比;在這方面、把孔孟程朱〓*7在一起都不是他的個児(pp.39-40)。
「他敢赤裸裸地談利害」について;

我最佩服他這後一点。但我不崇拝他兼愛無等差的思想、以為有濫情之嫌(p.40)。
また、
不管怎麼説、墨子很能壮我的胆*8。有了他、我也敢説自己是中華民族的赤誠分子、不怕国学家説我是全盤西化了(ibid.)。
と。さらに、「作為墨子門徒、我認為理智是倫理的第一准則」という。何故なら、それは「一切知識分子的生命線」であるから。
「有了他、我也敢説自己是中華民族的赤誠分子、不怕国学家説我是全盤西化了」を巡って。中国では(というよりもどの非西洋社会でも)清朝末期以来、全面的西洋化か〈国粋〉の保存かという対立が続いている。中国の公式的な見解では、中国共産党及び毛沢東思想によってこの対立は綺麗に止揚されたということに一応はなっている。王小波の言動はこの自虐史観という非難の対象となっていた。例えば、彼は「我men国家自漢代以後、一直在進行思想上的大屠殺*9」(「思想的楽趣」、p.24)と書いている。彼はその「大屠殺」の「幸存者」即ちサヴァイヴァーを自認していたのである。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070210/1171089669

*2:Cf. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060316/1142479391

*3:zhen3. いとへん+真。GB5377. zhen密は周密。

*4:zhen3. いとへん+真。GB5377.

*5:ling4. くち+力。GB3377.

*6:「徳爾塔−依伏賽」というのはわかりません。

*7:kun3. てへん+困。GB3206. 束ねるの意。

*8:壮胆は大胆にするの意。

*9:日本語でいう「南京大虐殺」は中国語では南京大屠殺。