- アーティスト: Eric Dolphy
- 出版社/メーカー: Polygram Records
- 発売日: 1991/07/01
- メディア: CD
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http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20070124/p1
曰く、
直接この話とは関係ないのだが、私たちの振る舞いには特定の対象に向けられたものと不特定の対象に向けられたものがある。例えば、私信は前者であり、blogへのエントリーなど公刊されるものは後者といえる。ただ、実際のところ、その区分は曖昧。だから、振る舞った者の意図というか意味づけとその振る舞いを知覚してしまった者の解釈とが食い違ってしまうということも日常茶飯事としてあるのだろう。
あとブクマには書かなかったんだけど、「同級生の男子を好きというのと芸能人を好きというときの「好き」はどう違うのか」というのもあります。これもわからん。私も学校時代にはよく同級生を好きになったものだが(安易)、なんかこう「触りたい」とか「話したい」はあったとしても「眺めてキャーキャー」「眺めてうっとり」みたいな域を出てなかったような気もするし…芸能人にキャーキャー言うのと同じじゃん。それ恋愛か?
俗にストーカーといわれることの或るものはこの意図の取り違えに発していると思われる。特に藝能人(スポーツ選手や作家も含む)や政治家や医療関係者やセックス・ワーカーがストーカーされるという場合*1。藝能人や政治家の場合、愛想を振りまいても、それはファン一般とか有権者一般に対してであって、特定のあなたに向けられたものではない。また、医療関係者やセックス・ワーカーはたしかにあなた個人に関わる。しかし、その時、あなたはクライアントという一般者の中のひとりに過ぎない。それをほかでもないあなた自身に向けられたものだと、あなたが解釈(誤解)したときが、ストーカーという出来事の発端となるのであろう。逆にいうと、誰かに対して、何らかの一般者のひとり(何)としてではなく、ほかならぬ誰其れとして、親密な関係を欲望するとき、あなたは恋しているといえるのだろうか。
また、
そもそも「両思い」かどうかなんてアプリオリにわかるわけはないのだが。「片思い」は「一般的には」「入れない」というなら、日本の〈忍ぶ恋〉という伝統*2が全く忘却されていることになる。〈美しい国〉の国民としては甚だ遺憾なことなり。そのような者に対しては、古今、新古今それから『葉隠』等の強制的な暗記などの矯正措置が必要かと思われる。
そういえば「片思いは恋愛か?」って問題もありますね。一般的には入れないんだっけ? 例え結果的には両思いであってもつきあっていなければ「恋愛」とはみなさない人もいますね(そこにあるのは「恋愛感情」ではあるのかもしれないけど)。