伊吹発言についてのメモ

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061122/1164224217で言及した伊吹発言について、annntonioさん*1が纏めて下さっている*2ので、一読をお勧めしたい。拙文にも言及されているが、私の拙き文をシリアスに読んでいただけるというのは、恥ずかしいけれど嬉しい。これに関しても、拙文へのコメントに関しても、お礼申し上げたい。
その後知った、伊吹発言に関するテクストで興味深かったのは、http://aayumi23.exblog.jp/5012680。私がネタにした新聞記事では引用されていない部分において、伊吹という人は「国民全体の意思でないグループ、あるいは国民全体の意思でない思想によって教育を行うという場合、これは当然それ(不当な支配)にあたる」といったそうな。これを踏まえて、曰く、


これだけ読んだらオウム真理教のことなんぞを思い浮かべ、ついうなづいてしまうかもしれない。しかし忘れてはいけないのが改悪案第十三条だ。

十三条 学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする。

つまり、団体やグループではない家庭において、親が個人的価値観(思想)―キリスト教、仏教などの各宗教、または最近はやりのシュタイナー教育モンテッソーリ教育などの特定の教育観(つまり思想)―に基づいて行う教育も「ダメ」となる可能性がある、ということだ。今後決まる法律、政令、大臣告示とその「個人の価値観」が矛盾することがあれば、それら法律などと「矛盾しない限りにおいて」しか子どもに教えたり、実践してはいけないことになるかもしれない。

実はこれは敗戦前に国民に押し付けられていたことのソックリな繰り返しである。例えば戦前にも信教の自由は「あった」。ところがその「自由」とは、天皇崇拝の国家神道に違背しない限りにおいて、というありがた〜い条件がつけられたものだった。

「戦前も民主主義だった、何故なら選挙が行われていたから」などと言う人に時々お目にかかるが、国民をほとんど一人残らず洗脳したり、政府にとって都合の悪い思想から隔離しておいて選挙なんかやったって、何の意味があるだろうか。

また、http://luxemburg.exblog.jp/4599150

この自由主義、ということがわからないような文部大臣を育ててしまったこの国を恥じるべきだ。
 ただ単にわからないだけではない、本来「保守」であるはずの党ならば、民主主義の行き過ぎを警戒し、一時的な多数者意思が国政を蹂躙することを許さない、その一時的な感情を伝統の立場から冷まそうとするのが、慎重な「保守」のありようである。しかし、目先の危機を演出し、世論をあおって不安に陥れ、新興宗教まがいの勧誘でまるで解決があるかのように逆の処方箋を用意する。これは保守ではなく、ファシストであり、教祖であり、オレオレ詐欺師のやり口だ。
という一節には深い共感を覚える。
また、これはそもそもSkeltia_vergberさん経由で知ったのだが、伊吹発言というのは、たんに伊吹という人の個人的な癖ではなく、政権内部ではあからさまかどうかは知らないけれど、ともかく共有されたもの、それも〈教育〉というジャンルに限定されないということを知った。以下は『読売』の記事;

沖縄県知事選、負けていたら特措法も…防衛長官明かす


 久間防衛長官は23日、長崎市のホテルで講演し、沖縄県の米海兵隊普天間飛行場移設について、「知事選に負けたらどういう手でやるか、その時は法律を作り、一方的に県知事の権限を国に移してでもやらないといけないと思っていた。負けたら力づくでもやるという腹を持っていた」と述べた。

 19日の知事選で与党推薦候補が敗れれば、代替施設建設に向け、公有水面埋め立てに関する知事の許認可権を国に移す特別措置法の制定を目指す考えだったことを明かしたものだ。

 久間長官は「知事の意向を聞き、うまく調整しながらやっていく」と強調した。

(2006年11月23日21時8分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061123i112.htm