「根本がズレまくっている」(カンニング竹山)

先々月の『スポーツ報知』の記事;


カンニング竹山、読書感想文の売買に怒り「根本が全部違う」
2017年8月28日14時15分 スポーツ報知

 カンニング竹山(46)*1が28日放送のTBS系「ビビット」(月〜金曜・前8時)にコメンテーターとして生出演し、学生の夏休みの宿題、読書感想文がフリマアプリ「メルカリ」で売買されていることに「根本が違う」とあきれ顔を見せた。

 番組によると、「メルカリ」での読書感想文売買は番組調べで十数件ほど見つかったという。中学生を持つ親は「賛成」といい、「受験生は受験勉強で夏休みの宿題をやっている暇がない」と話している。メルカリは「把握しているが、コメントは差し控えたい」とし、静岡県の小学校教諭は「読書感想文を宿題に出す一番の目的は、生徒に本を読んでもらうこと、夏休みの宿題については保護者と話し合うことが必要な時代なのかな」と番組にコメントした。

 MCの真矢ミキ(53)は「いらなくなった不要品の売買じゃなくて、時間の売買みたいな気がする」と話し、コメントを求められた竹山は「根本が全部違うと思う。出品している方も買う方も根本がズレまくっている」とキレていた。
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170828-OHT1T50119.html

所謂宿題代行業者については何度も憤慨しているのだった*2。しかしながら、時代はあっけらかんと先に進んでいる。さすがは「メルカリ」*3! と感心しているわけにはいかない。「中学生を持つ親」が「受験生は受験勉強で夏休みの宿題をやっている暇がない」と言っているというけど、「読書感想文」を買ったことがばれた場合、〈非行〉事実として中学なり高校なりに通知すべきなのでは?
さて、「夏休みの宿題」としての読書感想文については再考すべきだとも思う。「生徒に本を読んでもらう」という「目的」の助けになっているのかどうか。感想文を強制することで却って読書嫌いの子どもを量産しているのではないか。子どもの感想文とはいっても、書評或いは批評なのであって、誰でも書ける前提で強制的な宿題とするのは文藝批評をなめすぎ、というような議論はかなり以前からある筈だ(Eg. 丸谷才一『日本語のために』、『桜もさよならも日本語』)。他方で、読書によってポジティヴにせよネガティヴにせよ感情を喚起された場合、その感情を喚起されたという経験を他者とシェアしたいと思うのも自然だろうとは思う。だから、「読書感想文」は他者とシェアしたいと思うほどの感情を喚起された子が書けばいいのだとは取り敢えずはいえる。
日本語のために (1978年) (新潮文庫)

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桜もさよならも日本語 (新潮文庫)

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