朴烈その後

承前*1

朴烈の晩年について、futeiさんからご紹介いただいた韓国の報道に「彼は朝鮮戦争時しばらく行跡が不明になったが、以後北越して1974年北朝鮮で死亡した」という箇所があった。futeiさんはほかにも韓国における関係のニュースを紹介している。


朴烈義士記念事業会は2003年11月、麻城面にある朴烈の生地の裏側に金子の墓を移した。朴は聞慶で生まれ旧京城高等普通学校に入学し、1919年3月1日に始まった独立運動に加わったこともある。同年東京に渡った朴は朝鮮人留学生とアナーキズムキャンペーンを展開すると共に、親日派へのテロ活動を繰り広げた。朝鮮戦争の最中に北朝鮮に拉致された朴は、北朝鮮で朝鮮平和統一促進協会長を務めた後、1974年1月17日死亡した。
http://d.hatena.ne.jp/futei/20060814/1155539847

朴義士は、1902年3月12日に聞慶市麻城面オチョン里で生まれ、1919年に日本に渡った後、アナーキズム運動を展開し、1926年に日王(天皇)の暗殺を試みたが失敗し、死刑の宣告を受けた。

無期刑に減刑され、刑を受けている間光復がなされ、帰国した朴義士は、朝鮮戦争の時に拉北され、北朝鮮で在北平和統一促進協会長を務めた後、1974年に死亡した。
http://d.hatena.ne.jp/futei/20060814/1155539542

「拉致」「拉北」という言葉が気になったので、メモしておく。