安部公房@YouTube


 『NHKアーカイブス あの人に会いたい』「安部公房
 http://www.youtube.com/watch?v=YdUXurBkAnM


http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060715/p1にて知る。
1985年に行われたインタヴュー。但し、放送されたのは安部さんの死後である。
安部さんの話で面白かったのは、先ずは作家は小説の「意味」とか「テーマ」を支配できないということ。そうではなくて、小説が提示するのは、「世界」、「意味にまだ到達しない実態」。だからというか、しかしというか、作者も読者も例えば「大意」とか「教訓」というような究極の意味に辿り着くことはできない。そのようなものを求めるなら、論文とかエッセイを書け(読め)。小説が提示する「世界」は、「地図」や「航空写真」のように「無限の情報」を内包しているから。
1985年といえば、その頃日本でもその名前が(少なくとも名前だけは)一般化していたジャック・デリダ*1を思い出す。安部さんのいっていることをデリダ的語彙に翻訳すれば、究極的シニフィエの不在ということだろう*2。(究極的)「意味」への希望を絶つことにおいて、安部さんは読者の居場所を空けるというか、読むという行為の存立の可能性を示しているともいえる。
1985年の安部さんの話を聞きながら、考えていたのは、社会科学のこと。社会科学は海馬のつまり(自然科学と同じ資格における)〈科学〉というよりも、(乱暴な言い方かも知れないが)文藝批評の一形式である。すなわち、自覚的な仕方での読み。しかし、それと同時に社会科学者は〈小説家〉でもある。何故なら、社会科学者が自覚的に読むべきテクストである〈社会〉は、ほかならぬ社会科学者自身によって調査され・叙述され、すなわち構成されたものだからだ。勿論、小説家が小説の「キャラクター」の「意味」を支配できないように、調査する社会科学者も〈社会〉の「意味」を支配できない。ただ、小説家がその一切を想像力を通じて行うのに対して、社会科学者は〈事実〉*3を切り貼りすることによって「世界」を提示する。言いたいのはどういうことかと言えば、社会科学者は読むことによって仮初めの「意味」を提示するとともに、「意味にまだ到達しない実態」としての「世界」を提示するということだ。-ologyと-ography。
あとは、「満洲国」体験を巡って。「五族協和」思想を教育され、それをベタに信じたことが日本の殖民地主義への懐疑・批判の契機となったということ。「満洲国」に育ったということは、ほぼ純粋に近い都市的状況で育ったということ。
実は安部公房の後期の小説というのは読んでいない(汗)。ただ、80年代初頭に新潮社のPR雑誌『波』に断続的に掲載されていたインタヴューは、その頃私が演劇に興味を持っていたことと相俟って、興味深く読んでいたという記憶がある。安部さんは、演劇における身体性を強調し、演劇の文学=言葉への従属の打破を訴えていたのだ。

*1:デリダと安部さんの共通性を挙げれば、一方は現地人、他方は殖民者の息子という立場の対立はあるものの、殖民地体験だろう。

*2:尤も、安部さんがデリダを読んでいたかどうかはわからない。当時のインタヴューを読んだ記憶を辿ると、言語論においては、チョムスキー流の生成文法にシンパシーを持っていたようだが。

*3:但し、言うまでもなく、それは「意味」の汚染を全く免れたまっさらさらの〈事実〉というわけではない。