灰となりて

土曜日は、午前中、葬儀屋のおばさんとともに龍華殯儀館に行く。葬儀場の下見である。「龍華」といっても、龍華寺の近くではなく、寺からは上海体育館を挟んで反対側というか、IKEAの裏側にある。従妹と末の叔父さんが棺桶と骨壺*1を選ぶ。午後は淮海路の「香都明月」で食事。夕方は、妻と従妹とで、遺骨を運ぶためのバッグを買いに、七浦路へ。ここは酸欠でぶっ倒れる奴が出ないのが不思議なくらいな場所。私が知っていた上海は何と整然とした場所だったのか。また、七浦路方面に行くバスの15番路線(上海体育館⇔天目東路)も興味深い路線ではある。
日曜日は朝8時頃に龍華殯儀館へ。叔父さんは上海で客死したので、上海では葬儀は行わず、身内だけの告別式ということになる。棺桶の中は既に花で埋められていた。遺体を包んでいた白布を取り、衣服や紙銭を棺桶に入れ、香を焚く。日曜日のせいなのか、葬式が目白押しで、三輪車で花を納める業者が犇めき、あちこちから泣き喚く遺族の声が聞こえ、さらに専属のブラス・バンドがとにかく悲しい気分にさせる曲を奏でまくっている。〈しめやかな〉雰囲気ではない。
火葬はさらにタクシーで20分くらい乗って、「益善殯儀館」で行う。この辺りは場末の、東京で言えば足立区にも似た荒涼とした雰囲気が漂う。遺体が焼き上がると、日本と同様に箸でお骨を拾っていくのだが、日本のようにその場にいる人が全て拾うのではなく、従妹と末の叔父さんが拾っていく。拾い終わると、火葬場の職員が赤い袋に詰める。大人1人分の骨がそんな小さな袋に入るのかと思ったが、木槌で叩きながら詰めていくと、小さな袋に入ってしまう。それを骨壺に入れ、外に出て、適当な場所を見つけて、酒とお茶、果物とお菓子と煙草を具え、香を焚いて、紙銭を燃やす。一人一人が地面に額づいて、お別れをする。
ところで、私や妻を含めて、みんな夏風邪を引いてしまった。特に私は頭痛のため、夕方から寝込んでしまう。私が寝込んでいる間に、叔母さんや叔父さんたち、いとこたちはお骨を抱えて、虹橋空港へ。深夜には昆明空港に無事到着という電話。月曜日の午前中には大理空港に無事到着したという電話。叔父さんもやっと故郷に戻れたというわけだ。
というわけで、上海に来て、不図したことから、1人の人間の最期に(親戚という立場で)立ち会ってしまった次第である。

*1:といっても、日本のように陶器でできたものではなく、黒檀で作られた厨子