辛亥革命と帮会(メモ)

承前*1

今年100周年を迎える辛亥革命に関する『新民週刊』7月4日号の特集「辛亥的帮会背影」;


河西「辛亥年的帮会背影」(pp.22-23)
何映宇「帮会射雕英雄伝」(pp.24-27)
何映宇「没有帮会没有辛亥革命」(pp.28-31)
肖龍祥「青帮大字輩徐朗西逸事」(pp.32-33)
「没有帮会没有辛亥革命」は邵雍(上海師範大学教授)へのインタヴュー。
肖龍祥氏の祖父、徐朗西は1884年陝西省で生まれ、日本留学中に「中国同盟会」に加入し、孫中山の命により帮会に対する工作を行った。自らも「洪帮」に加わり、頭山満と宮崎寅助の助力によって、上海で「洪帮」組織「峪雲山」を立ち上げた。袁世凱の息子、袁克文とは「拝把子」の関係にあり、陳其美や蒋介石とも義兄弟の契りを結んだという。辛亥革命後、広東、廣西、雲南を転戦するが、後に政治と帮会から足を洗って上海に戻り、美術教育活動を始める。「上海図画美術院」、「新華藝術専科学校」を設立。1961年に上海で病没。享年77歳。文革中、徐朗西の息子は牢獄に入れられ、3人の娘のうち2人は自殺し、息子の嫁であった肖龍祥の母親も1970年に自殺してしまった。