熱湯をかけること

『読売』の記事;


頭から熱湯、2歳女児死亡…アザも十数か所、両親逮捕

 滋賀県警高島署は6日未明、頭から熱湯をかけるなどの暴行を加えて女児を死なせたとして、同県高島市新旭町安井川、航空自衛隊空士長、長阪健太(24)と妻の千鶴(25)両容疑者を傷害致死の疑いで逮捕した。

 調べによると、両容疑者は、6月中旬から今月5日未明にかけて、二女優奈ちゃん(2)に対し、棒でたたくなどの暴行を加え続け、頭部やけどによる敗血症で死亡させた疑い。優奈ちゃんの全身には十数か所のあざがあった。両容疑者は「頭から熱湯をかけた」と認めている。

 優奈ちゃんは、両親と長女(3)、長男(生後8か月)の5人暮らし。千鶴容疑者は長女と優奈ちゃんを連れて昨年10月、長阪容疑者と結婚した。
(読売新聞) - 7月6日1時50分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060705-00000416-yom-soci

酷い事件ではある。無辜の犠牲者というのは常套句であるが、2歳では人間として罪を犯す暇もなかったということになる。
ところで、「頭から熱湯をかける」というのも、〈児童虐待〉事件ではよくあるが、この振る舞いの意味はよくわからない。むかついたときに、ひっぱたいたり蹴っ飛ばしたりというのは、ある意味で自然ではある。そこでは、むかつくという情動の動きとひっぱたく・蹴っ飛ばすという身体の動きはシームレスに繋がっている。しかし、「熱湯をかける」というとき、薬缶なのか、それとも電気ポットからカップにお湯を注ぐのか知らないけれど、情動と身体の動きの間に中断が入り込むわけだ。そのとき、既に反射ではなくて、意図的な行為になっている。また、反省が介入する余地も出てくるだろう。もしかしたら死んじゃうんじゃないかとか火傷の痕は一生残るぞとか。いいたいのは、むかついたからひっぱたいたというのとは次元が違うということであり、わざわざ「熱湯をかける」というのはどういう(象徴的)意味があるのか。「頭から熱湯をかける」というのは残酷であると同時に不可解なのである。しかしながら、(邪悪なものであっても)そこには何某かの意味がある筈なのだ。
ところで、子どもと「熱湯」というと、(虐待ではなく事故で)熱湯を浴びて全身火傷を負い、北海道の病院に運ばれた露西亜(サハリン)の男の子の印象は今でもかなり強い。