公共性を巡って(何度目?)

石田英敬「「公共性」をめぐって」
http://www.nulptyx.com/pub_publicness.html


アレントハーバーマス石川啄木の紹介。
それはそれとして、現在日本語の文脈で「公共性」を議論するとき、publicとofficialの区別から始めないといけないわけだ*1。或いは、ヘーゲル流の市民社会−国家という対立を表面上は独逸哲学とは無縁な人まで内面化してしまっているとはいえないだろうか。
ところで、


(注:「権利」とは書かずに、私は、福沢諭吉にならって、英語の Rights や フランス語のdroitsのより正確な訳語として「権理」と書くことを提唱しています。「Rights」は決して「権力」の「利益(Interests)」のことではなく、「政治社会において、当然そうあってしかるべき権能の理(ことわり)」だからです)
ATOKでは変換しない。但し、interestはそもそも〈(人々の)間に在ること〉であり、「関心」という意味があるように、世界における私の立ち位置を指し示す言葉ではあるのだが。

*1:中国語ではofficialは「官方」と訳されている筈。