アートのコンテクスト

まずhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060430/1146374995を巡って。Liberationとは違った証言もあるので、取り敢えずマークしておく*1。それから、http://d.hatena.ne.jp/opemu/20060429/1146283971に対して、「氏にとっては、退廃芸術展だったのでしょう」というコメントあり。そこから、「退廃芸術とは」*2というファイルを知る。その冒頭に、


かれらの目の欠陥は、機能的なものか、遺伝的なものかのどちらかである。
 前者であれば、かれらの不幸に大いに同情すべきだが、後者であるとすると、
  少なくともこうしたおぞましい視覚障害がさらに遺伝していくことは阻止せねばならない。・・・
   しかし国民をペテンにかけているのかもしれない。
    そうであるとするなら、そのような行為は、刑法の扱う領域に属すものなのだ。

アドルフ・ヒトラー、大ドイツ展の開幕の言葉)

というヒトラーの言葉が引用されている。たしかレヴィ=ストロースの『今日のトーテミズム』の最初の方で、表現主義に言及した部分があったと思うが、それはもしかして、これを踏まえていた?

さて、あんとに庵さん*3曰く、


実際、村上隆の作品(変なアニメフィギュアな作品ね)に対峙した時、「つまらない・・・」と思ったのが正直なところだった。似たような馬鹿アートというとジェフ・クーンツとかイタリアのルイジ・オンターニとか、ジャック&ジル(って名前だったっけ?ホモホモな二人)なんかがいるんだが、彼らに対してはあまりそう思った事がない。村上のが何故つまらないと思ったのかというと、元ネタのフィギア世界を知っているからなんだろうな。あれはアレ自体ではかなり醜悪(造形としてはかなり安いうえに巨乳とかパンチラとか・・・)で、しかしそれに或る種の価値を持たせているのはオタク達の萌えパワーである。それらはフィギアだけで完結するのではなく、萌えた人々の語りやら、同人やら、ネットでのパロディやら、そういうのの一部としてあるからこそ、昇華されるといったものだろうと。その大衆芸術のあり方としては上記のエントリ*4にも書いたが、かつてキリスト教美術において存在した大衆信仰のあり方にも通じる。

それらの教会美術が信仰の場ではなく美術館に持ってこられた時、何故か輝きは半減する。たしかに優れた作品は鑑賞に値するものではあるが、それでも教会にあって多くの巡礼達が祈りを捧げている聖像のその稚拙な作品でありながらにして聖である、そういう働きの「場」を与えられた存在とはやはり何かが違ってくる。美術館において役割をはく奪されそこにあるというのは、一種の死骸みたいなもんだ。だから稚拙な作品はオーラをはぎ取られ、醜悪な作品は観るに堪えられなくなる。あきらかに作品それ自体の完成度において観賞されるものとなる。土産物屋に置かれたマリア像とミケランジェロのそれとは教会の聖堂内においては平等の働きをするが、美術館においてはあきらかに差が生じる。

実のところ、そういうことを気付かせてくれたという逆説的な点で村上隆の作品には意義はあるかもしれない。私の中でアカデミズムと大衆芸術というもののそれぞれのあり方が浮き彫りになった。

ふむふむ。フィギアにおける「オタク達の萌えパワー」と宗教美術における「大衆信仰」のパワー、それから(言及はされていないが)私の好きな共産主義プロパガンダ絵画における政治的パッション、或いは商業美術(広告)においては営利へのパッションだろうか、これらのものというのは全て等価のものであるわけですね。おっしゃるように、それぞれの文脈から分離され、〈アート〉という文脈に移し替えられることによって、アート性というようなものが析出される(或いは、析出されずに「醜悪」として打ち捨てられる)ということはあると思う。また、そのような文脈をまるごと批評する、或いは表現のネタにすることにおいて、アート、特に現代美術というのは存立するのだということも可能だ。
ただ、村上さんの場合は、少なくとも初心においては、ベタに「オタク」に憧れていたのだと思う。それなのに、当の「オタク」に拒絶されたり、「萌え」きれない自己への苛立ちが創作のモティヴェーションになっていたということはあるのだと思う。「オタク」に憧れるあまりに、コンテクストの差異を忘却してしまったのか。

以前に中国の門神について言及したことがあったが*5、今日「莫干山路*6に行って、あるギャラリー(名前忘れた)で作者の名前も忘れたが、中国の門神というか玄関先に貼るための年画をモティーフにした作品群を観たのだが、門神の顔のところが、姚明とか李小龍とか成龍とかジョン・レノンになっている。また、同じ作者の絵で、中国風の曼陀羅絵なのだが、「天下太平」という文字を中心に、ブッシュ、シラク、ブレア、プーチン胡錦涛、それから金正日ビン・ラディンサダム・フセインといった政治世界のスターたちが揃い踏みの絵が面白かった。因みに、純一郎は曼陀羅の中にはいない。その意味では〈反日〉なのかも知れないが、中国ナショナリストからもクレームが付く可能性がある。曼陀羅の頂点にいるのはあくまでもブッシュであり、胡錦涛の位置は隅っこだからだ。