http://d.hatena.ne.jp/noharra/20060208
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051222
野原燐さんの主張は、日本国憲法1〜8条の削除による天皇制の「民営化」*1である。天皇制廃止を主張する立場の人は天皇の処遇をどうするつもりなのか。〈処刑〉してしまうというのは論外として、天皇を特別職の公務員と見做して、退職金を払うということになるのだろうか。それと並んで、「民営化」というのは考慮に値する選択肢だといえよう。これによって、国家は天皇から解放され、天皇は国家から解放されることになる。この案の最大のメリットは、天皇制に賛成する人と天皇制に反対する人の双方をそれなりに満足させることが可能だということだろう。天皇制に賛成する人は民営化後もそのまま引き続き崇敬し続ければいいし、反対する人にとっては、〈国家制度〉としての、polityとしての天皇制がなくなるのだから、その目的は達成されることになる。
ここで、どちらの選択肢を採るにしても、天皇制を廃止することによって、却ってウルトラ天皇制が生まれてしまうという逆説的な可能性についても言及しておかなければならない。こういう可能性については、たしか鈴木邦男氏も語っていたかと思う。天皇制が廃止された後では、(制度的には)〈元天皇〉*2を商業的・政治的に利用することは自由になる。セレブや藝能人を選挙に担ぎ出すのと同じことだ。〈元天皇〉が誰かと謀って〈天皇党〉を結成し、選挙に打って出て、与党になってしまえば、〈元天皇〉は〈国民の支持〉の(名の)下に、ファシズムだろうが何だろうが、好き勝手にやれるということになる。それだったら、現在の〈象徴〉という地位の方がはるかに安全である。そのようなリスクにも拘わらず、天皇制は廃止すべきなのか。共和主義者である限り、そうすべきだと思う。また、その場合、〈元天皇〉も世俗的政治に足を突っ込むことによって、その文化的・政治的資本としての権威を損ねてしまいうるというリスクを背負うわけだが。
ところで、kechackさん*3は、「皇室に対する国民のスタンス」を、「神聖皇統派」、「開かれた皇室派」、「無関心派」、「反皇室派」の4つに分類している。野原さんとか私とかは、そのうちの何処に入るのだろうか。