匿名性

 承前*1
 今井さんの本来のblog*2の方はアクセス可能なようだ。さて、曰く;


しかし、批判をされる方はそちらもリスクを背負っていただきたいです。私は批判的なメールを送られた方にはすべての方に携帯電話の番号は打ち明けています。また、批判している方でも非通知ではない方とは話しています。そして、多くは理解を得ることができました。中には一時間近く話した方もいましたが、最後にはお互いに納得しわかりあうことができたと思います。
(「今後は更新しません」http://blog.livedoor.jp/noriaki_20045/archives/50457743.html
イラク人質事件〉にとどまらず、何かことが起こると、匿名の手紙・電話の殺到というのは定番ではあるが、その動機というのは何なのだろうか。臆病者? 確かに。臆病だったら、黙っているか、せいぜい身内で盛り上がっていればいい。ある場合には羨望(envy)という農民的美徳/悪徳に動機づけられているということも考えられる。しかし、わざわざ電話番号や住所を調べて、(手紙の場合だったら)ペンやコンピュータで書き、投函するという仕方で、知的・体力的資源を費やすのだから、消極的なbecauseだけでなく、ポジティヴなin-order-toが何かある筈だと考えるのが自然だろう。それが理解できない。鬱憤晴らし? でも、それだったら、煎餅を食べるとか煙草を吸うとかオナニーをするとか、人間学的にもっと愉しいことは幾らでもあるんじゃないか。なので、依然として理解は出来ない。当事者の証言若しくは社会=心理学的な実証研究を俟つしかない。
 匿名的でなく自らの言説を公に晒すこと。勿論、そのためには「リスク」が伴う。その「リスク」の代償は何なのか。それは、私が発話し、或いは書きつけた時点での〈現在〉、(当然それは即時に流されて〈過去〉となってしまうのだが)かつてそのような〈現在〉であったところの過去への権利であるといってしまいたい。この〈過去への権利〉というのは、ただ時間の流れに関わっているだけではない。私が発話し、或いは書きつけること、それは私の言葉を他者へと差し出すことである。かつて〈現在〉であったところの私の過去は、見知った、或いは見知らぬ他者の〈現在〉として引き受けられる(或いは、横領される)ということになる。そもそも私の〈現在〉だって、そのようなものであったわけだ。他者に差し出された私の過去、私はそれを取り戻せるのだろうか、少なくとも取り戻しを請求できるのだろうか。それは、私が白地に署名することにかかっているだろう。(それ自体、偽造可能性というリスクを構成的要素としている)署名こそが私と私の言葉との関係を証すタグなのである*3。匿名的であること、それは自らの過去への権利を放棄することであり、捨て子をすることである。言葉は勝手に親を捨てていくというのに。或いは、水子として流されてしまった言葉が生き延びてうようよしている状態といった方がいいだろうか*4
 闇の世界ではある。勿論、闇のない世界というのはつまらなく、闇は(エコロジカルな意味で)保護の対象としなければならないと考えているので、匿名者を全て闇から引き摺りだして照らし出せとはいわない。だいいち、そんなの不可能だろう。ただ、政治的な危険性を指摘しておくことは、まことにトリヴィアルなことながら、やはり必要ではあろう。この水子どもはいつの間にか〈国民〉とか〈人民〉といったリヴァイアサンへと成長するということである。この成長を阻止すること、水子どもにその身の程を弁えさせること、これは理論的・実践的課題ではある。
 さて、匿名性ということだと、内田樹「プライバシーって何でしょう?」*5に曰く、

匿名の筆者は彼が誰であるかを特定できそうな情報をブログに書くことができない。
「今日、祇園祭りに行った」とか「渋谷で東幹久を見た」くらいのことでは足はつかないけれど、「うちの社長は今日の役員会でこんなバカなことを言った」とか「秋の園遊会安倍晋三の足を踏んた」とか「昨日シャラポワと浅草で天ぷら食べた」とかいうようなことは書けない。
でも、ともだちに「ねえねえ聞いてよ」と言いたいことって、概して「そういうこと」である。
そういう「ねえねえ」系の話を公開することを断念しないと匿名で日記が書けない。
これはかなり本人としては切ないことである。
匿名での発信は固有名での発信より自由度が高いと思っている人が多いが、「書き手を特定される可能性のあることは書けない」という条件を課した場合、むしろ匿名の書き手は「書きたいことが書けない」ことの方が多いのではないかと私は思っている。
これは内田氏のテクストの後の方に出てくる「共同署名人」をばらすことの禁忌に関わるのではないかと思う。
 匿名性といえば、しばらく昔に、ある文化人類学的調査報告書が(インフォーマントでもある)対象地域の住民の不興を買って、回収を余儀なくされるということがあった。いくら匿名化したからといっても、そんなのは、地元の人には分かってしまうのである。その騒動に巻き込まれたH先生も今年は5周忌*6

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060209/1139449593

*2:http://blog.livedoor.jp/noriaki_20045/

*3:時代劇の小道具でいえば、ご落胤の証拠としての懐剣といったところでしょうか。

*4:だとしたら、2ちゃねらーの諸君には、水子地蔵の購入をお勧めしたい。

*5:http://blog.tatsuru.com/archives/001552.php

*6:私を見知っている人にとっては、この匿名化は無効だろう。