輪廻


変化計無窮 生死竟不止 三途鳥雀身 五嶽龍魚己 世濁作〓*1*2 時清為〓*3*4 前廻是富児 今度成貧士(太田悌蔵訳註『寒山詩』、岩波文庫、1934、pp.88-89.)
 印度思想における輪廻転生の説、天竺の地でも日本でも、差別を正当化するものとして評判が悪い。また、前世の因縁を落とすなどと称して阿漕な真似をする邪教も多い。では、捨て去ってしまうべきか。輪廻転生の説からすれば、私の現在の在り方は自明なものではなく、(論理的には)無数の可能性のうちの1つにすぎぬコンティンジェントなものにすぎない。この説はそういうことに気づかせてくれる。また、過去の複雑さと不透明さに気づくこと。勿論、気づいたからといってどうなるわけでもない。しかしながら、佛ならざる衆生にとっては、過去がそうであるように、未来もさらに複雑・不透明である。つまり、気づいたからといって変わるわけではないが、変わらないわけでもないということ。これは安心立命だろうか。少なくとも、それを解脱すべきものとして否定するのではなく、〈面白れえや〉と徹底的に肯定する限りは。

*1:ひつじへん+兒。

*2:ひつじへん+需。二字で「胡羊」の意(太田悌蔵の註による)。

*3:lu4. うまへん+彔。

*4:er3. うまへん+耳。luerは周の穆王八駿の一なり。うまへんなき「耳」と作ることもあり。