倫敦恐怖その他

 7月7日付けの日記をアップロードしたのが、7月11日。
 7月7日、倫敦で同時多発テロが発生した。朝のラッシュ時の地下鉄及び路線バスが狙われ、多数の死傷者が出て、安否不明者もまだまだ多いというのは周知のことである。ただただ痛ましく、遠く離れた私などが犠牲者に過度に同一化するというのは却って無礼なことだろうけれど、犠牲者・遺族の方々には謹んでお悔やみ申し上げます、負傷者の方々にはお見舞い申し上げますとしかいいようがない。また、暴力と監視の連鎖、暴力と暴力の連鎖が繋がれないように諸仏に祈っている。
 さて、Rough Toneさんという方が


 フランス革命がおこったとき、貴族たちは民衆が、なぜ自分たちに怒っていたのか知っていただろうか。見たこともない強烈な憎悪を前にして戸惑い、「贅沢はしていない。ただ普通に暮らしていただけ」とでもいっただろうか。また、9.11テロのときのアメリカ人は、どうだったのだろうか。

 怒りの理由を理解できないことは恐怖であり、悲劇のもとである。

 ブレアは、アフリカ諸国の救済を訴え、お膝元で開催されるサミットは世界の関心を集めてはいたけれども、オリンピックの連帯感も、チャリティコンサートの善意も、G8の「援助」も、物乞いする人々に貴族がなにかを施すようなものにすぎぬなら、本当に困難な状況にある人々には、「我々」の善意にかかわらず、本当の意味で理解されることはないだろう。

と書かれている。勿論お気持ちは充分に理解できるけれど、このようなテロ行為と「本当に困難な状況にある人々」とは切り離して考えるべきだろう。勿論、抑圧された人々の対抗的〈暴力〉は断乎として擁護されなければならない。そのような人々に向かって〈暴力反対!〉などと喚くのは、結局そのような人々を殺すことに荷担するのと同じだからだ。ただし、そのような〈暴力〉はこのような〈無差別テロ〉ではないだろうし、またあってはならない。しかし、「本当に困難な状況にある人々」は、テロはおろかささやかな対抗的〈暴力〉さえふるう元気さえない。密かに溜飲を下げるということはあるかも知れないが(それを直接の〈被害者〉でない私たちが道徳的に非難することなんてできるのか)。
 問題は「本当に困難な状況にある」という〈絶対的〉なことよりも寧ろ相対的なことにあるといえるだろう。それは〈公正〉に関わることだ。テロリストの直接の沃土とはいわぬまでも、テロリストにとっての〈信憑性構造(plausibility structure)〉の基となりその〈人民の海〉をつくりだすものが、〈先進国〉に住まうムスリムたちの感じる〈不公正〉であるというのは論を俟たない。〈先進国〉に限らず、アフガニスタン辺りに行って軍事訓練に身を投じ、イスラーム主義のテロリストになる者たちは〈正義感〉に発している。だとすれば、テロの再発を防ぐ途、或いは「テロリストにテロを起こす口実を与えない」ための途は明らかなのではないか。それは〈公正〉の確保である。それはミクロなレヴェルでは例えばムスリム系の人々へのバックラッシュを許さないことだろうし、マクロなレヴェルではイラク侵略戦争の責任の刑事司法的な追求だろうし、またパレスティナ問題の公正な解決ということになるだろう。
 皮肉なことに、リスク論者たちがご推奨の〈ハイ・リスクなポピュレーションの監視〉という戦略は、却って〈監視〉の対象となる人々の不公正感を強めて、テロが反復されるリスクを(主観的にも客観的にも)高めてしまうのだ。また、やるべきことは、監視カメラを増やすことでも、地下鉄駅のゴミ箱を撤去することでもない。テロとは勿論恐怖である。ということは、テロリストにとって、殺生は手段にすぎない。わざわざ殺生で手を汚さなくとも恐怖という目的が達成されればいうことなしというわけだ。〈人々がテロが起こるリスクが高いと信憑している状態〉というのはまさにそれだ。テロリストと治安当局と、目指していることは一緒なのかも知れない。盛り場で遊ぶことや海外旅行を自粛したりするなどというのは、言ってしまえば、テロに遭う前にテロに遭っているのと同じだ。だから、日本がすべきことは小手先の〈テロ対策〉などではなく、イラク侵略への荷担を公的に謝罪することであると同時に、日常生活をお気楽に続けることなのである。
 さて、英国のムスリム系の人々はテロ事件のバックラッシュを怖れており、一部ではモスク(それから何故かシーク教の寺院)の不審火も起こっているようだ;

 Press Association
 "Muslims urged to stay indoors"
http://www.guardian.co.uk/print/0,3858,5233716-111274,00.html

Helene Mulholland and agencies
"Muslim leaders fear backlash"
http://www.guardian.co.uk/print/0,3858,5234571-111274,00.html

Vikram Dodd and Alan Travis
"Community leaders and police meet as reports grow of assaults and threats"
http://www.guardian.co.uk/print/0,3858,5234995-117079,00.html

Polly Curtis
"Safety warning for Muslim students"
http://www.guardian.co.uk/print/0,3858,5236417-117079,00.html




 さて、7月8日は、守中高明*1『法』(岩波書店)を読了する。
 薄い本ながら、本書で言及されている問題は多岐に亙っている。法の「根拠」を巡る問い、法と「暴力」の問い、「市民的不服従」、難民、死刑制度等々。そのせいか、全体に消化不良という感は否めない。しかし、それはそもそも著者の意図するところだったのかも知れない。曰く、


 だが、われわれのこの小さな本の目的は、もとより総合的・包括的であることではなかった。標準的な「概説」を目指すのではなく、それぞれの問題系が要求するだろう膨大な言葉をあえて極度に圧縮することで、一つの思考の強度を創り出すこと。そしてその思考の強度が、読者であるあなたのもとで反復され、さまざまな理論的・実践的文脈に送り返されたとき、たくさんの新たな視野が開かれ、新たな課題が発見されるようになること−−そのことだけが、ここでのわれわれの企図であり、希望だった(p.99)。
ということで、私たちは再度ハートやルーマン、或いはベンヤミンデリダのテクストに差し戻されることになる。
 ところで、私が本書の中で最も興味深く読んだのは、「市民的不服従」を巡るII部1章「「市民的不服従」の思想」である。「市民的不服従」とは「ある法への不服従を表明することで、その法こそが不正義であることを公的に訴える倫理的−政治的行為」(p.33)であるが、先ず「市民的不服従」の〈原型〉的形象としての「アンティゴネー」が提示され、ヘーゲルラカン、バトラーらによって語り継がれた「アンティゴネー」のシニフィエが提示される;

はじめは、都市国家=ポリスの論理に家族=オイコスの倫理を対置することによって、だが、ただちに、男性的法/女性的倫理、人間的法=掟/神々の法=掟といった表層的な二項対立を混乱させ、支配的な「正義」の保証からすら離れて、未聞の、しかし必要不可欠な別の「合法性」の到来をアンティゴネーは要請するのである。アンティゴネー、法に抗う娘、非合法という罰をすすんで受けながら別の正義の在り処をきっぱりと指し示す永遠の妹……(p.43)。
さらに、「日の丸」「君が代」への異議申し立てが現代日本における「市民的不服従」として捉え返され(pp.45-49)、「有事関連七法」への来るべき「市民的不服従」が呼びかけられる(pp.49-53)*2
 法についての問いはたしかに「正義」や「暴力」についての問いに越境していかざるをえない。それを踏まえて、新たな問いを創設するとしたら、先ず〈命令〉という言語行為についての問いだろうか。


 7月8日早朝、昨夜に引き続いて、BSでトリュフォーの映画を観る。『日曜日が待ち遠しい!(Vivement Dimanche!)』(1983)である。
 モノクロ。80年代には、ヴィム・ヴェンダースのようにモノクロに拘る映画作家はほかにもいたのだけれど、ここでは(http://n-ardis.cocolog-nifty.com/n_ardis/2004/10/post_4.htmlで指摘されるように)やはりヒッチコックへのオマージュなのだろう*3
 因みに、『終電車』と『日曜日が待ち遠しい!』を続けて観ると、トリュフォーが〈足フェチ〉であったことに気づく。


 『音の力〈ストリート〉占拠編』が出るようだ。買おうかどうか。取り敢えず、本屋で現物を見てみたい。目次をhttp://list.jca.apc.org/public/aml/2005-July/002317.htmlから引用すれば、

 『音の力〈ストリート〉占拠編』

 DeMusik Inter.[編]
 A5判並製/320頁 インパクト出版会刊・2500円+税 2005年7月10日刊行

 ストリートを占拠せよ! 予定調和を拒否する圧倒的なサウンド。要塞都市を揺る
がし、ストリートを情動で埋めつくす音の力。監視社会のひずみを快楽に転化する自
律空間の構築へ。資本の間隙に瞬間的に立ち現れ、消し去られた街のノイズを、匂い
を、路上のコンフリクトを顕在化する企ての数々を大特集!

 原口剛◎都市空間の奪還 天王寺公園青空カラオケ再考

 山川宗則◎「公園」記 天王寺公園青空カラオケの撮影現場を振り返る
 
 SHINGO☆西成(ラッパー)◎とり残された街、西成をうたう 
   ゲスト・アミダ ききて・酒井隆史、村上潔

 アミダ+イルリメ◎移動・拡散する音楽コミュニティ
  空間と音のサンプリング/コラージュが生み出す「場」 ききて・村上潔

 山口晋◎大阪・湊町の再活性化とOCATのストリート・ダンサー

 大島茂+天野裕◎パンクス達の一時的自律ゾーン 限界破滅GIG

 ALAKI+大島茂+KIHIRA NAOKI+シミズ+はンダーグラウンド+水嶋一憲+酒井隆史
  ◎踊らされるな、自分で踊れ 関西サウンドデモ座談会

 ECD+石黒景太+磯部涼+小田マサノリ+二木信◎東京サウンドデモ会議

 牧野琢磨◎夢見る痙攣ギタリスト ききて・五所純子

 二木信◎祭りの余波はまだ続く でも…DEMO…、サウンドデモ

 近藤真里子◎東京をタグで埋めつくす グラフィティライターにきく 

 酒井隆史◎ニューヨーク・ステイト・オブ・マインド 占拠編・2幕構成

 顔峻◎北京アンダーグラウンドの十年 中国新音楽(ニューミュージック)の昨日
と今日

 大熊ワタル◎コンクリートは解体しても 歌の在りかを消せはしない 
  法政〈学館〉の記憶のために

 河村宗治郎+田中健吾+のむらあき+趙 博
  ◎神戸市役所前に集う「人」と「思い」 これまでの十年、これからの十年
  エッセイ・マサキ“ばーばら”トモコ+おーまきちまき+岡本民

 のむらあき◎うたを奏でる 関西フォークシーンの単独者 ききて・大熊ワタル

 東琢磨◎ばさら、ふたたび
  おちこち歩む(2) 人間ならざるものたちとの〈共同身体〉のために

 

*1:山本貴光氏によって、守中氏の書誌が作成されている。

*2:私見を差し挟めば、「市民的不服従」が要請されるのは、とどのつまり世界のためである。複数性が破壊されるとき、世界は存立不可能になってしまうのだから。

*3:Vincent Canby氏は、"'Confidentially Yours,'' based on Charles Williams's American mystery novel ''The Long Saturday Night,'' is a bright, knowing, somewhat too affectionate variation on the sort of bloodless murder mysteries that were as much a staple of Hollywood production schedules in the 1930's and 40's as they were of the lending libraries of that era. It falls somewhere between the Nancy Drew stories and the film adventures of Nick and Nora Charles that were spun off from Dashiell Hammett's ''Thin Man.''"と述べている。Confidentially Yoursアメリカ公開時のタイトル。