『ミリオンダラー・ベイビー』/社会科学基礎論研究会

 7月1日、『ミリオンダラー・ベイビー』*1を観る。
 周知のように、クリント・イーストウッド監督の最新作で、本年度のアカデミー賞で、作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞を受賞したもの。と書き出してみたものの、どう続けていいのやら。ウェブやBLOGにとどまらず世間には、〈ネタバレはいけない〉という掟があるらしい。例えば、Peter Bradshaw氏Rob Mackie氏のレヴューでも、映画の後半部への言及はない。それを遵守するとしたら、どうしても〈圧倒的な感動!〉とかいった陳腐なクリシェを並べるしかない。勿論、ここでもその掟はなるべく遵守するつもりである。
 この映画は、勿論、ボクサーとトレイナーという師弟関係を描くものであり、それぞれ家族関係に深刻な問題を抱える、フランキー(クリント・イーストウッド)とマギー(ヒラリー・スワンク)という赤の他人の2人が父子的な関係を築いていく過程が描かれる。しかし、これも後半部を準備するための序詞にすぎない。素晴らしいボクシングのシーンだってそうだ*2。フランキーの現在の人格の在り方を決定づけたであろうスクラップ(モーガン・フリーマン)との長年に亙る関係もそうだ。すべてが後半部を少しでも納得させるための(とはいっても絶対に納得不可能なのだが)序詞にすぎない。
 後半部であるが、そこに待ち受けているのは、「決定不能性の試練」とか「アポリア」といいたくなるような事態である。この映画は〈宗教映画〉と言えるのかも知れない。何故なら、そこにあるのは、〈善悪の彼岸〉における決定だからである。クリスチャンなら〈神の試練〉というのだろうけど、人間のみならず神も〈試練〉を受けているだろう事態。信仰なき者が(スクリーン越しとはいえ)このような事態をいきなり見せつけられたら辛いものがあるだろう。
 たしかに、フランキーと実の娘との関係はこの映画にとって序詞にすぎない。しかし、それだけにとどまらない感じがする。精神分析擬きの解釈からそういうのではない。映画の語りの構造に関わることだ。ケイティと名付けられたフランキーの娘は、映画にとって徹底的に不在の存在である。フランキーの許に〈受取拒否〉ということで返送されてくる膨大な手紙によって指示されるだけ。この映画の語り手はスクラップである。映画の最後になって、スクラップの語りの宛先がケイティであることが明らかになる。ということは、私たち観衆が眼にしているのは、スクラップからケイティに送り届けられた語り、ケイティの語る物語の登場人物としてのフランキーでありマギーでありスクラップであるということになる。ということは、手紙さえ受け取ることを拒否していたケイティは父の物語を語ることによって、父(という存在)を赦したという可能性はある。
 ところで、フランキーはアイルランド系のカトリック教徒。ゲール語でイェーツの詩集をいつも読んでいる。フランキーはマギーに「モ・クシュラ」というゲール語の名前を贈るのだが、これには英語では気恥ずかしいという照れ隠し以上のものがあるのだろうか。また、マギーに読み聞かすイェーツの ''The Lake Isle of Innisfree"という詩の積極的な役割はどうなのだろうか。残念ながら、私の教養ではお手上げである。因みに、『ニューヨーク・タイムズ』のA.O.Scott氏のレヴューでは、イェーツに言及されており、「イーストウッド氏とその新しい作品の高潔であると同時に哀しみに満ちた(at once generous and mournful)逆説的なスピリットを表現していると思われる」と、"The Apparitions"という詩の一節が引用されながら、結ばれている;


When a man grows old his joy

Grows more deep day after day,

His empty heart is full at length

But he has need of all that strength

Because of the increasing Night

That opens her mystery and fright.



 ところで、社会科学基礎論研究会のシンポジウム、時が迫ってきたので、ここにお知らせすることにする。


7月23日(土)13:00〜18:00 会場:大正大学巣鴨校舎)
参加費:500円(学生300円)
【シンポジウム(第6回)】準拠点としてのシュッツ
[司会] 浜日出夫(慶應義塾大学)、中村文哉(山口県立大学
[報告](報告順未定) 張江洋直(稚内北星学園大学)、山田富秋(松山大学)、平英美(滋賀医科大学
[コメンテータ] 本石修二(東洋大学・非)、菅原 謙(中央大学・非)
また、ポスターhttp://wwwsoc.nii.ac.jp/ssst/history/posters/05-07-23.pdfがあるので、掲示していただけたら幸いである。デザイナー曰く、カラー印刷推奨。

*1:オリジナルのサイトは、http://milliondollarbabymovie.warnerbros.com/

*2:ボクサーの背中越しに撮られたボクシングのシーンは、人を殴るときの鈍い音響とともに、観客は実際に自分が殴り/殴られていると感じるのではなかろうか。