社会科学基礎論研究会

 5月22日付でお知らせしたように、5月28日は、社会科学基礎論研究会@大正大学。取り敢えず席が埋まってしまう程の大盛会(いつもより会場が狭いための錯視が入っているかも知れないが)。
 改めて、プログラムを掲げてみる;



(1) 寺田喜朗(東洋大学大学院)
「ポリヴァレント・アイデンティティの解釈を巡って
  ――に対する一試論」
  司会:井腰圭介(帝京科学大学
(2) 古谷公彦((財)政治経済研究所)
「社会構築主義の論理と間主観性の問題」
  司会:井出裕久(大正大学
(3) 矢田部圭介(武蔵大学
「親密性と汝志向
  ――シュッツの〈形式的な概念〉の示唆すること」
  司会:角田幹夫


 それぞれについて、若干、報告から触発されたことどもを書き連ねてみたいと思う(だから、当日の討論の内容がそっくり反映されているなどと期待してはいけない)。
 寺田氏の報告の場合、メイン・タイトルにある「ポリヴァレント・アイデンティティ」とサブタイトルにある「ライフヒストリーの信頼性」とは別個に論ぜられるべき主題だろうと思った。「信頼性」についていえば、「信頼性」が問題となるのは、例えば量的調査のように類型的普遍者が関わるときだろう。また、「ライフヒストリー」が事例として扱われるとき、すなわちフィールドで出会う〈個〉がone of themとして語られるとき、さらには、〈個〉がフェイド・アウトして、ある集合的人格(例えば、〈日本人〉とか〈中国人〉とか)の語りとして呈示されるときだろう。「ポリヴァレント・アイデンティティ」に関して、私が気になったのは、複数のアイデンティティを可能にしているもののことである。多分、それはDaseinという言い方でしか語り得ないような何ものかだろう(実は、このことは後の矢田部氏の報告にも関わってくる)。
 古谷氏の報告では、「社会構築主義の論理」と「間主観性の問題」という2つの論点を如何にして架橋していくのかということが、今後の課題として残ったといえるだろう。当事者の構築を観察・記述する社会学者の構築が隠蔽されざるをえないというOG2については、その不可避性を粛々と引き受けざるを得ないというのが、私の臆見である。何故なら、「事実の記述」と「意味づけの記述」とを厳密に分離することは不可能だからだ。純粋な「事実の記述」、例えば純粋なクロニクルを考えようとしても、そこには記載する〈事実〉を取捨選択する「意味づけ」が常に機能している。これに対処するには、〈観察の観察〉、〈記述の記述〉を続けてゆくしかない。さらに、「意味づけ」には〈名付け〉が先行しており、〈名〉の反復こそが「意味づけ」を可能にしているのであり、〈名付け〉は当然「意味づけ」を伴うのだが、その「意味」が維持されるかどうかは決して自明なことではない。「意味」を孕んだ「事実」というのは、「主観性」の内にではなく、「主観性」の「間」にあるからだ。
 矢田部氏の報告は、司会者として自ら議論の構成に介入したということもあり、云々することは遠慮したいが、幾つか触発されたことを述べておくと、シュッツの理路からすれば、「純粋なわれわれ関係」という極を除いて、私たちにとって、常に既に、他者は多かれ少なかれ、類型化された(匿名化を蒙った)仕方で現れるのであって、シュッツのいう「親密性」−−矢田部解釈によれば、それは「彼ら関係」を前提とする−−というのは、類型性(特に社会的分業、役割期待に基づくもの)が一時的にではあれ失効することによって現出するのではないだろうか。矢田部氏は、報告の後半の「覚え書きとして」で、通常謂われるところの「親密性」に言及している。(矢田部氏によれば)シュッツの文脈では、それは「親近性(familiarity)」であり、strangenessと対立する。familiarityは、相互行為の累積によって充分に類型化がなされていることを前提としている。とすれば、「親密性」が存立する条件は、類型化(匿名化)であるということになる。ただ、通常謂われるところの「親密性」が孕むスティッキーな情態性を引き受けるとしたら、類型化(匿名化)の程度ではなく、その仕方が問われなければならないということだろうか。


 さて、社会科学基礎論研究会の機関誌現代社会と〈宗教〉の鏡−−年報社会科学基礎論研究4』 (ハーベスト社)が刊行された。奥付では発行は6月1日なので、ハーベスト社のサイトBlogにもまだ記載なし。なので、詳細について言及するのは後日、ということにする。


 基礎研に、大阪からわざわざいらして下さいました、渡會知子さんという方から、


  「「構築主義論争」再考−−ラディカル構成主義を手がかりに−−」
  『ソシオロジ』49-1、2004


をいただきました。記して、感謝いたします。


 また、酒井泰斗さんのところで、ご紹介に預かりました。こちらもサンキュー。