「レトリック的転回」(メモ)

本嶋学「A. Schutz現象学的科学論のレトリック的転回−−人間科学のレトリシャンとしてのA. Schutz」『現代社会理論研究』10、pp.109-120


少し抜書き;


人間科学のレトリック的転回とは、言語論的転回、解釈学的転回に次いで、1970年代頃から静かに盛り上がり始めた、人間科学−−社会科学と人文科学−−全般に及ぶ知的革命のことである。(略)人文科学畑からテクスト理論やレトリック理論の成果を摂取したうえで、「基礎づけ主義」−−「客観主義」や「実証主義」−−の諸前提−−真理の対応説、現実の鏡としての科学言語、科学/非科学の境界設定基準としての検証や反証など−−に対する不満の高まりを一つの主立った背景に、人間科学の諸活動をレトリックという観点から再考することを通じて、人間科学の言語や論理を問い直すことをねらいとしている(略)。(p.109)
ここで、「レトリック的転回」に関して参照されている文献は、


Brown, R. H. (ed.) Writing the Social Text: Poetics and Politics in Social Science Discourse Aldine de Grruyter, 1992
Simons, H. W. (ed.) The Rhetorical Turn The University of Chicago Press, 1990



周知のように、Schutzの考えでは、科学的世界は日常生活世界の派生物とされているけれども、その科学的世界が日常生活世界から派生してくる際に生起すると考えられている、用語の「意味変様(modification of meaning)」あるいは「意味移行(shift of meaning)」と呼ばれる意味作用(略)こそ、実は、比喩とされているのである。(ibid.)

Schutzによれば、社会科学者は、社会的生活世界を研究する際に、「ショック」経験を通じて実践的態度から理論的態度に態度変更するなかで、社会的生活世界から出て、科学的世界に入る。それと同時に彼/彼女の問題関心は、実践的問題(とその解決)から科学的問題(とその解決)へと移行する。こうした問題の移行とともに、科学的問題の画定するパースペクティヴの下で観察している社会的世界−−一次的構成−−は、科学的問題の画定するパースペクティヴの下で類型化される社会的世界のモデルないしは社会的世界の類似物−−二次的構成−−にとって代わられる。また同様に、そこに住まう「ピーターやポール」は「人間型(puppets)」ないしは「人間模型(homunculi)」*1に置き換えられる。
まさしくその際に見られる事象こそ、SchutzがW. Jamesの概念論を引き合いに出しながら力説する、問題の移行による用語の意味変様という意味作用にほかならない。(後略)(p.110)
シュッツが「意味変様」それ自体の「レトリック的性格」(「メタファー的性格」)に言及しているのは、1943年に「多元的現実論」の準備のために書かれた草稿(Collected Papers第4巻に収録)(p.111)。また、「シンボル・現実・社会」では、「間接呈示的指示関係の構造変化原理」としての「比喩的転移の原理(the principle of figurative transference)」が論じられている。2つの間接呈示的指示関係の併存、さらに一方の忘却*2(pp.112-113)。
Collected Papers IV (Phaenomenologica)

Collected Papers IV (Phaenomenologica)

Collected Papers I. The Problem of Social Reality (Phaenomenologica)

Collected Papers I. The Problem of Social Reality (Phaenomenologica)

本嶋氏は「Schutz現象学的科学論のレトリック的転回の問題点」として3点を挙げる(pp.115-117)。ここでは、そのうち1つだけをメモしておく;

第三に、Schutzの問題関心はもっぱら日常生活世界のレヴェルから科学的世界のレヴェルへの移行とともに生じる問題の移行に伴う意味変様に集中していて、それ以外のレヴェル間の移行とともに生じる問題の移行に伴う意味変様は等閑視されているきらいがある。社会科学のレヴェルから超越論的現象学のレヴェルへの移行に伴う意味変様が例外的に主題化されているにすぎない(略)。だが、社会科学の世界では、例えば、演劇あるいは演劇論の世界からの移行の結果、作り出されたものと思われる演劇論的アプローチなど、Schutzが放置している意味変様も存在しているので、それらも守備範囲に入れなければ、やはり不十分だろう。(p.117)
また、

(前略)人間科学のレトリック的転回の一つのねらいは、まぎれもなく科学の相対化にあると言ってよい。人間科学は、社会的交渉、手続きの規則、文学のあや、説得の戦略の産物である。したがってそれは、確実な知をもたらす特権的営為ではなく、法学、文芸批評、歴史学、レトリックなどと並ぶ営為にすぎない。Schutz自身がこうした科学の相対化の試みと同種の試みを実際に企図していたかどうかは不明である。しかしながら、「化学理論は芸術や宗教と同様に比喩的転移よって構成される一つの現実である」との含意をもつSchutz科学論は、こうした試みを可能にする契機をすでに持ち合わせていると言えるばかりか、人間科学のレトリック的転回に関連する諸研究が登場した時期やその内容を勘案するならば、こうした試みを先取りする契機を持ち合わせていたとすら言えるのではなかろうか。(p.118)

(前略)Schutzにとって、比喩的転移は、科学理論を創造するうえで必須の、科学者の意識あるいは主観性の能力にほかならない。それゆえ、Schutz科学論は、こうした比喩的転移という科学者の主観性の能力を−−科学の相互主観性との関連で−−問う契機をすでに兼ね備えていると言えるだろう。(ibid.)
さらに問題を(小声で)提起すれば、「レトリック的転回」とレトリック論自体の認知科学的転回*3との関係。さらに、literal/figurativeの区別の決定不能性について。