「コペル」の顔

最近、TVというのは「コンテクスト」がいっぱいあるというその親切故に私たちの言語読解力を損ねているという主旨の丸谷才一のパッセージ(「日本語があぶない」in 『ゴシップ的日本語論』)に言及した*1。さて、本屋を兼ねたカフェに、吉野源三郎君たちはどう生きるか』の岩波文庫版と羽賀翔一氏による漫画版が並べてあったので、ついつい2冊を交互にぱらぱらと捲り始めてしまった。コミック版のインパクトは何といってもそのカヴァーだろう。「コペル君」の顔のアップ。小説には、クラスでいちばん背が低い方だというような記述はあるものの、これまでの読者は「コペル君」の具体的な外見については、あまり意識はしない、或いは勝手に想像するという仕方でテクストと付き合ってきた筈だ。しかし、コミック版の出現によって、「コペル君」のイメージがどアップで固定されてしまった。そこで丸谷才一による「コンテクスト」話を思い出してしまったわけだ。勿論、マガジンハウスや羽賀翔一氏を非難したいわけではない。映画にせよ漫画にせよ、文字をヴィジュアル化する際に必然的に生起してしまうこと。昨日久しぶりに使った表現を捩るなら、lost in trasnlationならぬgained in adoption*2

ゴシップ的日本語論 (文春文庫)

ゴシップ的日本語論 (文春文庫)

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

漫画 君たちはどう生きるか

漫画 君たちはどう生きるか

「初めから異界にいた」

承前*1

池澤夏樹「ぼくのもとに無常の使い」『朝日新聞』2018年2月12日


曰く、


病状を抑えるために服用している薬の副作用で頻繁に幻覚がやってくる。ここ二、三年はそういうお話が多くなった。
去年の十一月に聞いたのは(今から思えば最後になったのだが)、「部屋の隅に街灯のように立つ二人の見知らぬ男」とか、「温泉で衣類を残して消えてしまった入浴客。みなで探すがいない」とか、「(昔の水俣の)とんとん村の海岸にいる。水平線に天草が見える。でも海を隔てる壁がある」というような話。
声が小さくなって口元に耳を寄せるようにして聴き取った。幻覚ではあるが、しかしそのまま石牟礼道子の文学でもある。
そもそもこの人自身が半分まで異界に属していた。それゆえ現世での生きづらさが前半生での文学の軸になった。その先で水俣病の患者たちとの連帯が生まれた。彼らが「近代」によって異域に押し出された者たちだったから。それはことのなりゆきとして理解できる。でも、たぶん石牟礼道子は初めから異界にいた。そこに相互の苦しみを通じて回路が生まれたのだろう。

永田和宏『近代秀歌』

近代秀歌 (岩波新書)

近代秀歌 (岩波新書)

永田和宏『近代秀歌』*1を昨日読了。


はじめに


第一章 恋・愛――人恋ふはかなしきものと
第二章 青春――その子二十柳にながるる黒髪の
第三章 命と病い――あかあかと一本の道とほりたり
第四章 家族・友人――友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
第五章 日常――酒はしづかに飲むべかりけり
第六章 牛飼が歌よむ時に
第七章 旅――ゆく秋の大和の国の
第八章 四季・自然――馬追虫の髭そよろに来る秋は
第九章 孤の思い――沈黙のわれに見よとぞ
第一〇章 死――終りなき時に入らむに


あわりに
あとがき
引用・参考文献
本書で一〇〇首に取り上げた歌人
一〇〇首索引

近代の短歌を10のテーマ別に100首。「ベスト一〇〇や、十分条件としての一〇〇ではなく、必要条件としての一〇〇」(p.v)。「挑戦的な言い方をすれば、あなたが日本人なら、せめてこれくらいの歌は知っておいて欲しいというぎりぎりの一〇〇首であるというつもりである」、と(ibid.)。なので、著者が「苦手」であるという釈迢空折口信夫)や会津八一*2の歌も収録されている。会津八一については、「どうも生理的に受けつけないのだ」と言い捨てられているのに(p.149)。残念ながら、私は「日本人」として合格点をもらえなかったようだが、そんな私でも知っている歌と再会することができたので、近代短歌のアンソロジーとしては成功しているのではないかと思う。
さて、「あとがき」から、著者が「必要条件としての一〇〇」と言っていることの〈知識社会学的〉背景を引用してみる;

(前略)私は、現在の社会から、共通の知的基盤というべきものが消失していく現状に危惧を抱かざるをえないのである。友人や知人とじっくり話をするという習慣が、特に若い人たちのあいだから失われつつある。話題といえば、昨日テレビで見たお笑いやバラエティ番組、スポーツか芸能にかぎられるということでは、あまりにもさびしい。相手の意見を聞いて、そこに次々に自分の考えをつけ加え、そこから話題が展開するということがない。話題が散発的なのである。そこには刹那的な〈会話〉はあっても、意見や考え方のやり取りとしての〈対話〉の喜びや発展はないだろう。
何かを質問しても、「別に」のひと言ですましてしまうような人間関係、自分の興味あるところでしか会話が成立せず、自らの生活に直結しない問題には、一向に興味を示さないようなサークルには、本当の意味での友人という関係は成立しがたい。ネット情報に一人で浸りこんでいて、ほとんど他人との会話を必要としないかのように見える若者は、ますます増えていくのだろうか。
わが国には言うまでもなく、先人たちの多くの知的財産が残されている。私自身は、それらの限りない知的財産から、最低限共通の知的基盤を共有していたいものだと願っている。もとより読書だけでそれらを獲得できるものではないだろうが、いっぽうで『嵐が丘』を読んでいない友人とは、ヒースクリフの心情について話をすることはできないわけである。
友人たちとそんな会話ができなくとも、われわれは十分に生きていける。しかし、そんな会話ができるかできないかを天秤にかければ、できるほうが、日々の生活に豊かさをもたらしてくれるだろうことはあらためて言うまでもないだろう。
現代では、同じ職場でも、同じ学校でも、そして同じ地域のなかでも、人々の関係が希薄になってゆくことを嘆く声は大きいが、そのひとつの理由は、互いに話をできるだけの共通の基盤を持たないことがあるだろうと、私は思う。私は教養という言葉を軽々しく使いたくないと思っている人間であるが、教養というものを、自らの知的好奇心によって収集された知識を内包しつつ、その反映としての人間性の発露を言うとするならば、ある程度の、あるいは、最低限の共通の供用を持っているということは、他の人々と接するための、つつしみぶかい礼儀の一つであると思うのである。(pp.244-245)
  
Wuthering Heights

Wuthering Heights

嵐が丘 (1960年) (岩波文庫)

嵐が丘 (1960年) (岩波文庫)

個々の歌の解釈については、歌における言葉が醸し出すリズムが重視されているということを申し添えておく。また、伝統的(古典的)な「和歌」と近代以降の「短歌」との連続性と切断性に関しても、その目配せの仕方のバランスが取れているなと思った。

川、川、川(安岡章太郎)

鏡川 (新潮文庫)

鏡川 (新潮文庫)

安岡章太郎*1の『鏡川』を読み始める。その出だしは、


私は毎日、散歩する。どうかすると日に二、三度におよぶこともある。天候さえよければ、とにかく必ず歩く。
べつに何処を歩くと決めたわけではない。以前はカメノコ山と称する多摩川べりの丘の上から、川沿いの土堤*2等々力渓谷めがけて行くことが多かったが、晩秋から冬、初春にかけては日当たりの好くない渓谷にはあまり足が向かず、土堤から川原の径を歩くことが多い、しかし歩きながら私は、そこが多摩川だとは思っていない。もっと自分から離れた処、たとえば東京の東郊、江戸川や、大阪の淀川、あるいは高知の鏡川なんかを、漫然とかんがえながら歩いている。(p.5)
眼前の「多摩川」が「 そこが多摩川だとは思っていない」という仕方で否定されながら、次から次へと、「川」が呼び出される。江戸川、真間川、淀川、そして「私」出生の地であり、「私」の先祖の地である鏡川、さらに与謝蕪村*3の故郷、淀川と中津川の合流点近くの摂津国「毛馬」へ(pp.5-12)。この川尽くしのイントロを読んで、すっかりこの小説にはまり込んでしまった。

蕪村の伝記には、摂津国東成郡毛馬村に生まる、谷口姓、後に与謝姓を名乗るとあるが、それ以外に、本名も、父母の氏名も、また出身地その他も一切不明とされている。(p.8)
最近、江戸時代に一般庶民も苗字を持っていたということを語ったのだが*4、特権階級とは対極にある蕪村のような文字通り何処の馬の骨とも知れない人も苗字を持っていたわけだ。
ことの序でに、与謝蕪村についての本3冊をマークしておく。芳賀徹与謝蕪村の小さな世界』と藤田真一『蕪村』。それから、萩原朔太郎の『郷愁の詩人 与謝蕪村』も忘れちゃいけない。
蕪村 (岩波新書)

蕪村 (岩波新書)

郷愁の詩人 与謝蕪村 (岩波文庫)

郷愁の詩人 与謝蕪村 (岩波文庫)

アナログな話

知の技法: 東京大学教養学部「基礎演習」テキスト

知の技法: 東京大学教養学部「基礎演習」テキスト

柴田元幸「翻訳――作品の声を聞く」(in 小林康夫、船曳健夫編『知の技法』東京大学出版会、1994、pp.62-77)*1


曰く、


ところで、さっきから作品の「声」を聞く、という漠然とした比喩を何度も使っていますが、これは翻訳者に限らず、読むという行為全般に当てはまる比喩だと思います。偉そうな言い方で恐縮ですが、意識的に「聞き取る」のではなく、自然と「聞こえてくる」。作品の「感じ」――それをつかんだ気になれることが、要するに「読んだ」ということではないでしょうか。「読者」とは「翻訳者」から「第二の言語に変換して外に出す」部分を抜いた存在であり、いわばオーディオ装置のスピーカー部分を抜いたようなものです。「聞く」という入力部はさしずめ、針先を通して伝わってくるレコード盤の微妙なデコボコを繊細に感知するカートリッジみたいなもので、この部分に関しては翻訳者も読者も同じことです(本当はCDプレーヤーを引合いに出す方が現代的なのでしょうが、はてしなくゼロとイチを読み取る、というのはどうもこの場合比喩としてうまくないので)。
授業で大学1年生と一緒に文学作品を読んでいていつも改めて驚かされるのは、作品の「意味」なり「メッセージ」なりを探し、「作者は何を言おうとしているか」を解読しようとしながら読み進める、はっきりした目的意識をもった読み方をする人がとても多いということです。これはかならずしも得策ではありません。はっきりとした目的意識というと聞こえはいいですが、要するにそれは、読みの可能性をはじめから限定してしまうことだからです。微小な物理的振動の形で伝わってくるすべての音を電気信号に変換すべきカートリッジが、最初からある種の、「意味」として認知できそうな音だけをサーチしてしまっているわけです。ついでにいえば、大学生はきちんと自分の目的意識をもって勉強や生活をしなくてはいけない、というような言い方も有害だと思います(まあそんなことを本気で聞く大学生はほとんどいないだろうから、有害といっても大したことはないのですが、でも、文章を読む段になると、結構みんな本気で「目的意識」を持ちだすので困ります)。(p.68)
さて、後の方で、柴田氏は「僕のような新米の英語翻訳者」という言い方をしている(p.70)。21世紀になった暫く経った、平成も終わらんとしている現在の私たちにとって、英語、特に米国文学の翻訳者ということで真っ先に思い浮かぶのは柴田元幸であって、柴田氏が「新米」なら古米は誰だよ? ということになるのだが、思い起こせば、このテクストは約4分の1世紀前のテクストなのだった。その頃は、ここで使われているアナログ・レコード・プレイヤーの比喩のリアリティも原罪より強かったというべきなのだろうか。