「会ったことのない」人

浅野智彦さんのMixi日記にて知る。
『朝日』の記事;


中学生の4割「見知らぬ人とメール交換」
2006年08月15日11時06分

 携帯電話を持っている中学生の4割が、会ったことのない「メル友」と日常的にメールのやりとりをしていることが、群馬大学の下田博次教授(市民メディア論)とNTTドコモモバイル社会研究所の共同調査でわかった。


 昨年10月から今年1月にかけ、東京、長野、静岡、奈良、鳥取など8都県の中学・高校計38校で約4600人の中高生にアンケートし、携帯電話を持っていると答えた中学生34%、高校生97%の利用状況を調べた。メル友を「会ったことはないがメールのやりとりをする友人」と定義した。

 中学生が「メールをよくする相手」は学校の友人75%、学校外の友人32%に続いて、メル友が25%、親は10%だった。「メールを時々する相手」と合わせると、43%がメル友を選んだ。

 高校生ではメル友によくメールするのは8%で、中学生の方が見知らぬ相手へのメールに積極的だった。

 メル友の年齢を中学生に聞くと、中学生95%、高校生40%で、そのほかは1割未満。高校生になると交際範囲が広がり、高校生93%、中学生25%で、大学生と20代の社会人もそれぞれ1割以上いた。

 また、メールのやりとりをきっかけに、メル友に会ったことがあるのは、中学生は32%、高校生は38%だった。

 メル友募集やゲーム関連の掲示板など、インターネット上の情報交換サイトを、中学生の3割、高校生の4割が携帯電話で利用しており、これらのサイトを通じて同世代のメル友を増やしていると見られる。

 下田教授は「携帯電話のモバイルインターネット機能は、大人が知らない出会いを簡単にしている。保護者はこれを認識して、子どもに使い方を指導する必要がある」と話している。
http://www.asahi.com/life/update/0815/004.html

先ず、下田博次というのがまともな人間ではないという偏見を持たなければならない。
これって、携帯電話或いはインターネット以前の雑誌によくあった〈文通欄〉とかを通じての〈ペンパル〉と構造的には似ている気がする。現代ではそれが「掲示板」とか「情報交換サイト」になったのではないか。そう考えれば、少年少女は何十年も前から「大人が知らない出会いを簡単にして」いたことになる。
また、浅野さんの日記のコメントには、友達から紹介された友達の友達的な人もこの調査でいう「メル友」=「会ったことはないがメールのやりとりをする友人」という定義に当て嵌まるという指摘があった。

Announcement on Deaf in Japan

Deaf in Japan刊行についての著者からのお知らせ。Japan Forum MLへのメッセージ;


I am pleased to announce that Cornell University Press has published
my book, _Deaf in Japan: Signing and the Politics of Identity_.

Here is a short description of the book:

> Until the mid-1970s, deaf people in Japan had few legal rights and
> little social recognition. Legally, they were classified as minors
> or mentally deficient, unable to obtain driver's licenses or sign
> contracts and wills. Many worked at menial tasks or were constantly
> unemployed, and schools for the deaf taught a difficult regimen of
> speechreading and oral speech methods rather than signing. After
> several decades of activism, deaf men and women are now largely
> accepted within mainstream Japanese society.
>
> Deaf in Japan, a groundbreaking study of deaf identity, minority
> politics, and sign language, traces the history of the deaf
> community in Japan, from the establishment of the first schools for
> the deaf in the 1870s to the birth of deaf activist movements in
> the postwar period and current "culture wars" over signing and
> assimilation. Drawing on archival and ethnographic research and in-
> depth interviews with deaf men and women from three generations,
> Karen Nakamura examines shifting attitudes toward and within the
> deaf community.
>
> Nakamura suggests that the notion of "deaf identity" is intimately
> linked with the Japanese view of modernization and Westernization.
> The left-affiliated Japanese Federation of the Deaf embraces an
> assimilationist position, promoting lip-reading and other forms of
> accommodation with mainstream society. In recent years, however,
> young disability advocates, exponents of an American-style radical
> separatism, have promoted the use of Japanese Sign Language.


_Deaf in Japan_ is available in both paperback and hardcover. Here is
the link to the paperback version on Amazon.com:
http://www.amazon.com/gp/product/080147356X

Please let me know if you have any questions or comments about the
book or my research.

Warmly,

Karen Nakamura*1
Yale University

「小泉効果」?

承前*1

『毎日』の記事;


靖国神社:最多25万人の参拝者 これも“小泉効果”?

時折強まる日差しの下、靖国神社を参拝する大勢の人たち=東京都千代田区で15日午後4時1分、山本晋写す

靖国神社の拝殿前に行列を作る参拝客=東京都千代田区で15日午後1時36分、本社ヘリから小出洋平写す

 小泉純一郎首相が参拝した15日の靖国神社には、約25万8000人(同神社まとめ)が訪れた。統計の残っている00年以降の一日当たりの参拝者数としては最多となった。同神社広報課は「首相参拝とその報道で関心が高まった影響がないとはいえない」としている。

 終戦の日の参拝者数は、小泉首相の就任後初参拝の2日後にあたる01年8月15日が、前年比約4万人増の約12万5000人。02〜04年は5万〜8万5000人で推移し、05年は関係団体などによる大規模な参拝推進運動もあり、約20万5000人に急増した。今年は朝方小雨が降ったが、首相が参拝した午前中に昨年を上回ったという。【竹中拓実】

毎日新聞 2006年8月15日 20時44分 (最終更新時間 8月15日 21時27分)
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060816k0000m040091000c.html

さらに、『朝日』の記事;

飛び交う歓声、外国メディア懸念も 首相参拝の靖国神社
2006年08月15日11時38分

 「小泉劇場」の締めくくりの舞台は、靖国神社だった。国内外のメディアを引き寄せ、境内を埋めた参拝者の歓声を背に、小泉首相終戦記念日の8月15日、言い募ってきた「公約」を果たした。戦没遺族、学生、識者、そしてアジアの人々。首相にとっての「心の問題」が、それぞれのヤスクニとあの戦争への思いをこの日、ひときわ鋭く交錯させた。

 上空の警視庁や報道のヘリコプターの音がひときわ大きくなった午前7時40分、霧のような雨が降る中、小泉首相の車列が到着した。

 昨年10月は第二鳥居の外側で車を降り、一般の参拝者と同様に拝殿で参拝したが、今回は到着殿に車で乗り付けた。

 モーニング姿の首相は到着殿から本殿へ。本殿に上る階段の手前で、一度上を見上げた。うつむき加減に階段を上り、本殿の中へ。その背中に、拝殿の外側から大勢の人たちがいっせいにカメラ付き携帯電話を向けた。

 約2分後、首相は本殿から再び姿を現した。神社に着いて約15分。小泉首相靖国を後にした。

 この日は早朝から、参拝を見届けようと多くの人が詰めかけた。「英霊にこたえる会」などが配った日の丸を手にした人たちも。小泉首相が姿を見せると参拝者が押し寄せ、「万歳」の歓声が上がった。神社近くの路上では、靖国に合祀(ごうし)されている台湾の先住民の遺族らが、合祀の取り下げや首相の参拝反対を訴えて座り込みをした。

 名古屋市の女子高校生(18)は小泉首相の参拝を見ようと、初めて母親(44)と一緒に靖国に来た。「学校の先生は首相の靖国参拝に反対していたけど、日本を背負って戦死した人たちに失礼と思った。小泉さんが参拝して本当によかった」

 しかし、母は少し違う。「参拝はいいが、A級戦犯が合祀されている以上、総理の名ではしてほしくなかった」

 奈良県の女性(61)は、地元の遺族会から誘われ、初めて足を運んだ。小泉首相が参拝を終えた後、入れ違いに靖国に着いた。終戦の年に生まれ、沖縄で戦死した兄のことを聞かされて育った。「私たちのような悲しい思いをする人が二度と出ないようにと祈った。小泉首相が同じ日に同じ思いで参拝してくれていたら、やっぱりうれしい」と言った。

 韓国、英国、カナダ……。外国メディアも参拝を注視した。韓国のテレビ局KBSのディレクターの朴正用(パク・チョンヨン)さん(46)はクルー3人と小泉首相の姿を追った。神社参拝は日本文化だと思っているが、首相の参拝は政治的問題を起こすと懸念もしている。「5年間の小泉首相の参拝で韓国人が靖国問題を注目するようになった。日本の民族主義の背景に何があるのかを解明したい」と話した。

 神社前の雑貨店。明治時代から続く老舗(しにせ)はこの日、シャッターを閉じたまま。3代目店主の小林国利さん(75)は右翼団体と機動隊の小競り合いなどを目の当たりにして、この3年、終戦の日は店を閉じている。

 「昔は静かな場所だった。まつられている人とは関係ない人が騒いで、雰囲気が悪くなった」
http://www.asahi.com/national/update/0815/TKY200608150203.html


「なぜ首相参拝がいけない?」 靖国に若者たち
2006年08月16日01時52分

 終戦記念日小泉首相の参拝で揺れた靖国神社は15日、若い世代の姿が目立った。戦争、戦死、天皇、国家、追悼、戦犯……。重い言葉を連想させる場所はこの日、いつもとは違う表情を見せた。

 午前7時45分。小泉首相が本殿で参拝をしていた時、拝殿前の参道に集まった参拝客の多くは、片手を高く上げた若者たちだった。手にしているのはカメラ付き携帯電話かデジタルカメラだ。

 「こっちにはこないの」「えー」。首相の参拝が終わると、そのまま参拝せずにきびすを返す若者も少なくなかった。

 Tシャツ、ジーンズ、キャップ、茶髪。見た目は、渋谷や新宿などにいる若者たちの姿と何も変わらない。誰とも口をきかず、1人で足早に参拝する姿も目立つ。

 「どうして首相が靖国神社に参拝してはいけないんですか」。27歳の会社員は、逆に問い返してきた。「国のために命を捨てた人を、国の指導者が追悼するのは当然じゃないですか」

 ダークスーツ、羽織袴(はおりはかま)、ジーンズ……。午前11時過ぎ、大村益次郎銅像がある一角に、様々な服装をした若者たちが集まった。初対面らしく、自己紹介をして頭を下げている。

 「国を思い、先祖を思う。正しい方法で粛々と靖国参拝する」「参加者の史観、思想信条は問いません」。掲示板サイト「2ちゃんねる」で、前日の未明に集合場所や時間が書き込まれていた。ネット上ではなく、現実社会で集まる「オフ会」。30人を超した。

 初めて顔を合わせた若者たちが、一つの固まりになって移動する。呼びかけ人は「本日は取材はお断りしています」。

 靖国問題を巡る度重なる報道が、若者と神社を結びつけた面もある。

 仙台市の女子高生(16)は連日のニュースが気になり、夏休みの家族旅行の途中に「一度行ってみたい」と母親に頼んで靖国神社に連れてきてもらった。初の参拝は「予想以上に多くの人が来ていてなんか感激したし、戦争で死んだ人に私も追悼の声をかけてあげたいと思った」。

 靖国神社には、国のために戦って命を落とした人たちを顕彰する「遊就館」がある。先の戦争を「自存自衛のための戦い」と位置づける戦争博物館だ。東京都町田市の私立高校に通う3年男子(18)は後輩たち4人と訪れた。仲間内で憲法9条が話題になったことをきっかけに、携帯電話でメールを回してこの日の訪問を決めたという。

 初めての遊就館は、過去に訪ねた広島市の平和記念資料館とは雰囲気が違った。「ここに来て、『戦争って格好いい』って思う人がいたら怖い」

 この朝、東京都府中市の女子大生(22)は友人と午前5時に家を出て、到着殿前で小泉首相を待った。「連日、これだけマスコミで騒ぎになっているので、歴史的な瞬間に立ち会いたいと思って来ました」。参拝について言った。「終戦記念日に公式に参拝するのは、どうかと思う」

    ◇

 靖国神社からほど近い千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)には、約35万人の無名戦没者の遺骨が眠る。献花が続く午前11時25分、小泉首相が姿を見せた。

 拍手と批判の声が交じるなか、元会社役員太田康一郎さん(79)は「(靖国参拝は)よくやってくれた。戦争は賛美しないが、友たちの犠牲の上に、今の平和がある。それを忘れてはいけない」と話した。

 首相がかつて足を運び、涙した鹿児島県知覧町知覧特攻平和会館。太平洋戦争末期に戦死した特攻隊員を慰霊し、遺書などを展示する。妻ら家族10人と訪れていた佐賀市の森永俊吾さん(86)は首相に苦言を呈した。「やめてほしい。日を変えるとかした方がよかったのではないか」

 広島県呉市大和ミュージアム(市海事歴史科学館)の入館者は昨年4月のオープン後、すでに約217万人を記録。大和の乗組員の遺書の展示もあるが、人気の的は戦艦大和の10分の1の模型だ。

 家族で大阪から見物に来た稲田雅巳さん(19)は「最後の参拝を妥協してほしくなかった」と首相を支持。一方、広島市の大学生上田裕子さん(19)は「アジアの感情を考えれば、次の首相は参拝しないで」と訴えた。

 被爆で亡くなった姉2人の冥福を祈った広島市西区の主婦(62)は「A級戦犯は原爆が使われた戦争に責任がある人々。行ってほしくなかった」という。従軍中のけがで帰還中に被爆した広島市中区の三浦実さん(86)は「本当に複雑」と言った。「靖国で会おう」と言って亡くなった戦友を思えば、首相に参拝してほしい。でも、原爆でひどい目にあわされたのは誰のせいかと考えると思いは乱れる。だからこそ、「国民や周辺国に複雑な思いがあるのに、すべて自分の『心の問題』と片づけるのはあまりに乱暴」に思えた。

 24万人余の戦没者らの名が刻まれた沖縄県糸満市の「平和の礎(いしじ)」にいた奥間功さん(72)も複雑な気持ちだった。「外国を刺激してまで行く必要があるのか。でも、戦争で命を落とした多くの人がまつられている靖国に参るのも当然だ」

 礎に伯父の名がある沖縄市の男性(63)は首相支持派だ。それでも「犠牲者と戦犯を分離する方が、首相も他の人も行きやすい」と思っている。
http://www.asahi.com/national/update/0816/TKY200608150568.html

最後の記事はタイトルからすると、若者の右傾化! というノリなのだが、本文を読むと、「歴史的な瞬間に立ち会いたい」という人もけっこういるわけだ。

昨日の中国のCCTVの夜のニュースは「靖国」一色。東京特派員と生で繋いでいた。中国語のニュース・チャンネルだけでなく、英語チャンネルでも。バランスを取るためか、南京で「日本友人」が慰霊祭を挙行というニュースも流していた。

Mixi上場

『日経』の記事;


SNSのミクシィが9月14日に上場――時価総額1000億円超も



 ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の「mixi(ミクシィ)」を運営するミクシィは14日、東証マザーズに9月14日に上場する承認を東京証券取引所から受けたと発表した。ブックビルディングの仮条件は8月25日に決まるが、現状の想定価格である1株155万円に上場後の株式数7万500株をかけると時価総額は1092億円になる。2006年3月期の売上高は約19億円ながら、14日時点の東証マザーズ時価総額ランキングで10位以内に食い込むことになる。

 ミクシィは1999年に(当時はイー・マーキュリー、06年2月にミクシィに社名変更)現社長の笠原健治氏が設立した。求人広告を中心に事業を展開していたが、04年2月に開始したSNSのミクシィが会員数を一気に伸ばし事業を拡大している。

 04年9月に10万人だったミクシィの利用者は、05年8月には100万人、同12月には200万人、そして06年の7月末には500万人を突破している。ネット大手のヤフーや楽天はSNSで出遅れており、ヤフーにいたっては7月31日に正式サービスを始めたばかりだ。

 直近の月間ページビュー(PV、ページの閲覧数)はパソコン向けが61億PV、携帯向けが12億PV。ヤフーの7月の月間PVはパソコン向けが325億PV、携帯向けが15億PVであることを考えるとパソコン向けではまだ差があるが、携帯向けでは迫ってきている。

 ミクシィの06年3月期の売上高は18億9345万円で、営業利益が9億1236万円と売上高の約50%にもなる。純利益も5億7628万円を確保している。

 06年3月期の売り上げのうち求人広告が約12億円と3分の2、ネット広告が残りを占める。巨額な時価総額の期待に答えるには、500万にも達した会員数を広告にとどまらず活用していくことができるかどうかが鍵となるだろう。


[2006年8月14日/IT PLUS]
http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMITba000014082006

ところで、この記事にはMixiのトップ・ページの写真が載っているのだが、これはこの記事を書いた人のトップ・ページ?

翻訳の問題

承前*1

「金成マツノート」翻訳問題についての(世界システム論者ではない?)Wallersteinさんの提言;


事情を知らないのだが、私としてはこれからの金成マツノートの行く末について私案を出しておこう。

まず「年に数百万」というのがそもそも小さすぎる規模だ。これでは翻訳事業が長くかかるのは仕方がない。そこで、だ。翻訳を済ませるだけであれば、COEだ。どこかの大学が金成マツノートの翻訳を核にしたアイヌ文化研究の総合研究プロジェクトを立ち上げる。そしてCOEを申請する。数百万どころか数千万円の規模で金がおりる。翻訳事業に専念する人員を十数人は当てることができる。

その後はその大学で金成マツ研究所か何かを設立し、アイヌ文化の総合研究を行う。これしかないだろう。

もちろんそういうことができる最適の大学は北海道大学だ。現状、アイヌ語を研究しようとすれば千葉大学早稲田大学に行くのが多いという。北海道大学アイヌ語研究のメッカになるべきなのだ。金成マツの甥に当たる知里真志保がかつて教授を務めた縁もある。北海道大学は金成マツノートの翻訳事業の継承に名乗りを挙げよ。
http://d.hatena.ne.jp/Wallerstein/20060815/1155648916

これがいちばん現実的といえるのではないかと思う。
ところで、この問題を取り上げているkmizusawaさんのエントリー*2へのコメントで、

年間700万円を28年間も翻訳に割り当ててなんでこれしか成果が出ていないのかというのも考えるべきでは?それとノートに自由にアクセスできたのが「萱野氏ら数人に限られていた」のも問題だと思います。言葉は悪いですが既得利権化してしまい翻訳が進まなかったのではないでしょうか。
というコメント*3。大体、私は語学なんかできませんとか言っている人間に限って、翻訳という作業を軽視している。たんに横のものを縦にすればいいと思っているようだ。翻訳という作業に従事したことがある人ならお分かりいただけると思うけれど、翻訳においては常にgainとlossが生じてしまう。翻訳とはそのgainとlossとどう折り合うかということなのだ。また、翻訳が語の翻訳にとどまらずに、文脈の翻訳であり、文化の翻訳でもある。ましてや、この場合、日常言語ではなく詩的言語である。詩的言語においてはgainとlossの問題はさらに重くのしかかってくる。何しろ、詩的言語においてメッセージのコアを為すシニフィアンが翻訳によって不可避的に破壊されてしまうのであって、その破壊を引き受けた上で、シニフィアンの翻訳を目指さなければならない。また、今回問題になっているような翻訳の場合、翻訳の作業は同時にテキスト・クリティークやアノーテーションを伴い、翻訳によって原テクストを確定していくという側面もあるということを忘れてはならない。
また、『朝日』の記事にあった、村崎恭子・元横浜国立大学教授の「金成マツノートは、日本語でいえば大和朝廷古事記にあたる物語で、大切な遺産。アイヌ民族歴史認識が伝えられており、全訳されることで資料としての価値が高まる」というコメントについて。http://blog.drecom.jp/tactac/archive/974で指摘されているような言語学内部的な事情はわからないが、この喩えが文化人類学(神話学)的な区別――神話/歴史、神話/伝説/昔話――からすると、問題を含んでいるだろうということは私でも指摘できる。これも勿論、翻訳におけるgainとlossの問題に含まれるわけだが。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060813/1155434004

*2:http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060814/p1

*3:「ノートに自由にアクセスできたのが「萱野氏ら数人に限られていた」のも問題だと思います」というのは事実誤認。

切腹した(?)のは「右翼」のおじさんだったということだが

承前*1

『毎日』の記事;


<加藤議員実家全焼>割腹男は東京の右翼

 山形県鶴岡市大東町自民党元幹事長、加藤紘一衆院議員(67)の実家と事務所が全焼した火事で、現場に倒れていた男は東京都内にある右翼団体の構成員(65)=杉並区在住=であることが捜査当局の調べで分かった。県警は男の回復を待って火事との関連を追及する。
 男は病院の集中治療室で手当てを受けており、話ができない状態が続いている。現場の状況から男は実家1階に火をつけた後、割腹自殺を図ったとみられるが、刃物などは見つかっていない。
 県警は16日午前、現場の実況見分を始めた。実家に戻った加藤議員は16日、報道陣に「失火ではない。誰かが火を付けたと確信している。(政治活動への影響は)心の中では変わらない。政治家としてこれからも頑張っていく」と話した。
毎日新聞) - 8月16日15時3分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060816-00000055-mai-soci

肝心要の「刃物」が見つかっていないので、?を付した。また、まだこのおじさんが放火したのかどうかも確実ではないのだが、取り敢えず〈自爆テロ〉という線で話をする。
あの9.11もそうだが、失われているのは言葉であろう。例えば、新左翼のお作法からすれば、火を付けるにせよ、(犯行)声明というものを(例えば〈革命軍軍報〉という仕方で)出すのがきまりになっている。これは言語化されないで身体的パフォーマンスとして表出されるという意味でヒステリーといってもいいのかもしれない。19世紀に流行ったヒステリーは失神を主にしていたわけだが。

おくのほそみち

承前*1


ブームというと、ペン習字が流行っているらしい。そういうのに敏感な妻は早速お手本を買ってきて、ここ数日ペン習字にはまっている。最初に中国に行った1989年頃、『雷鋒日記』をペン習字のお手本にしたものが出回っていたが、現在は唐詩とか『千字文』といった古典物が中心。ペン習字は日本でも流行っているらしく、6月に日本に帰ったとき、私の親は『奥の細道』を買ってきて、ペン習字していた。
と書いたのだが、これのことでした。

えんぴつでなぞる「奥の細道」、なぜか若者に人気


 随筆、俳句、短歌などの名文をなぞり書きする本がブームとなり、書店では専門コーナーまで設けられている。

 火付け役となったのは、今年1月に出版された、「奥の細道」(松尾芭蕉)をなぞる本。習字の練習のように、薄く印刷された手本を鉛筆でなぞっていくという新スタイルの“読書”だが、文書はキーボードで書くのが普通となった若者の間でも「気分が落ち着く」「読むより頭によく入ってくる」と、ネット上などで評判を呼んでいる。

 丸善丸の内本店の「なぞり書き本」特設コーナー。77万部のベストセラーとなった「えんぴつで奥の細道」(ポプラ社)のほか、芭蕉の「野ざらし紀行」、「徒然草」など15種類が並ぶ。特に百人一首は4社から出版されたものが置かれている。同店の担当者は、「20〜30種類は出版されており、これでも絞って置いている。まさかここまでの人気になるとは」と話す。
(読売新聞) - 8月16日18時7分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060816-00000406-yom-soci

最近妻はペン習字してないですが。