庭球場会戦

Brian Farmer “A real tennis court battle which changed historyhttps://www.bbc.com/news/articles/cpwdjy6v811o
“Kohima: How close combat over a tennis court helped turn the war with Japan” https://www.forcesnews.com/feature/kohima-stalingrad-east-how-close-combat-over-tennis-court-helped-turn-war-japan


今年は「テニス・コートの戦い」80周年なのだった。
「テニス・コートの戦い」は第二次世界大戦の、英国側ではBattles of Kohima and Imphal、日本側では「インパール作戦」(コード・ネーム「ウ号作戦」)と呼ばれている戦闘の一局面*1。緬甸のインパール*2と印度のコヒマ*3の占領を目指して、日本軍はこの作戦を発動し、1944年4月にコヒマへの侵攻を開始した。対する英国・印度連合軍はGarrison Hillという山に追い込まれ、攻め手の日本軍と英軍の間は一面の「テニス・コート」によって隔てられているに過ぎなかった。ボールならぬ手榴弾が飛び交うテニス・コートを挟んだ約2か月の攻防の末、1944年6月22日、日本軍はコヒマ攻略を断念し、撤退を開始した。
その後の約1か月に亙る日本軍の撤退戦は、英軍の追討よりも、餓死や感染病による死亡が続出し、現在日本で「インパール作戦」としてイメージされているのは、或いは最悪の組織的な失敗として〈失敗研究〉*4の事例にされているのは、前半のインパール/コヒマ攻略よりも、後半の悲惨な撤退戦であろう。