- 作者: 長谷川公一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2011/09/22
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http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120409/1333936632に関係があるかも知れない。
長谷川公一『脱原子力社会へ』によると、米国における産業としての原発の衰退はTMI事故以前から既に始まっていた。つまり、「アメリカでは原発の新規発注は、スリーマイル島事故前年の一九七八年を最後に途絶え、しかも一九七四年以降発注された原子炉は、一基も完成していない」(p.76)。
少しメモ。
つまり、
(前略)(1)アメリカの場合、二ケタ台の発注が続いた原子炉発注ブームは一九六六年から七四年の九年間にすぎなかった。(2)七五年以降、新規発注は急減していた。(3)七八年を最後に新規発注は三二年以上途絶えている。(4)七四年以降発注された原子炉で完成したものは一基もない。(5)キャンセルないし工事が中止した原子炉は全部で一二五基にのぼり、完成し運転を開始した原子炉の数一二三基を上回る。発注された原子炉建設計画の半数以上は建設途中で破棄された。(6)七〇年までに発注された炉一〇八基のうち途中で破棄されたものは一四基にとどまり、八七%は完成し運転を開始した。(7)七一〜七三年に発注された一〇〇基のうち操業できたのは二九基で、三割にみたない。(8)途中で破棄された炉のうち四割以上はスリーマイル島事故以前にキャンセルされていた。(p.77)
ということになる。
七九年のスリーマイル島事故をきっかけにアメリカでは原子力離れが始まったという趣旨の記述をしている文献が多いが、それは正確ではない。アメリカの場合、原発離れは七〇年代半ばにはすでに始まっていたのである。七九年のスリーマイル島事故はそれを決定的に加速したというのが正確な理解である。経済的リスクの大きさという問題はそれ以前に顕在化していたからである。日本で流布している理解には、スリーマイル島事故の特殊性を強調し、経済的リスクの大きさというもう一つの問題から目を逸らさせる効果がある。(pp.77-79)
さて角川書店のPR雑誌『本の旅人』に花村萬月の『希望(仮)』という小説が連載されていたのだが、その最終回(No.198)に、
2012年に書かれていることを考えると、ちょっと未来に生きる人間の認識論的特権の濫用なんじゃないかという気もする。
琉球大学に合格してほっとしたところに、味舌が黙って新聞を突きだした。三月二十八日にアメリカのスリーマイル島原子力発電所で、炉心融解、つまりメルトダウンが起きてしまったという。記事を読み進めるうちに、僕の下膊にちいさな鳥肌が立っていた。生まれてはじめて肌が粟立つという経験をした。味舌が溜息をついた。
「これ、とんでもない事故やで」
「けど、なんか識者の反応とか、対岸の火事みたいですね」
「地震だらけの狭い島国に呆れるほどの原子力発電所抱えとるくせにな、まったく他人事や。実際に原子炉建屋ん中覗いたら、もうすこし泡食いよるやろうけどなあ」
「いつだったか、有働さんが言ってましたよね。――いずれ事故が起きるやろうな。それも大事故や。反原発の奴らが原発の数その他から割り出した単純な確率論や。人為的なミスや地震とかの天災の確立も加えてある。ええか。まずアメリカで大事故が起きる。次はソ連や。その次には日本かフランス」
「よう、覚えとるな。まったく会長の予言どおりいうか、単純な確率だけに、空恐ろしいわ」
「次はソ連で、その次は日本かフランスって断言してましたね」
「そうならんことを祈るしかないな」
(後略)(p.82)