宮田茂樹

『amass』の記事;


大貫妙子竹内まりやEPOなどを手がけた音楽プロデューサーの宮田茂樹が死去
2022/08/01 00:24掲載(Last Update:2022/08/01 20:15)


 
大貫妙子竹内まりやEPOなどを手がけた音楽プロデューサーの宮田茂樹*1が死去。7月29日に急性心筋梗塞で亡くなったことを、宮田茂樹の妻がSNSで明らかにしています。72歳でした。

宮田茂樹は東京生まれ。制作に携わったアーティストは、大貫妙子竹内まりやEPOムーンライダーズ鈴木さえ子LITTLE CREATURESなど。1984年にはMIDI RECORDS(現ミディ)を創設。2003年にはジョアン・ジルベルト*2の初来日公演の実現に尽力した。
https://amass.jp/159658/

東京新聞』の記事;

宮田茂樹さん死去 音楽プロデューサー
2022年8月2日 07時18分


 宮田茂樹さん(みやた・しげき=音楽プロデューサー)7月29日、急性心筋梗塞のため死去、72歳。東京都出身。葬儀は家族で行う。
 89年に歌手の小野リサさんをデビューさせた。03年には「ボサノバの父」と呼ばれた歌手でギタリストのジョアン・ジルベルトさんの初来日公演の実現に尽力し、その後の来日公演や日本でのCDなどをプロデュースした。ほかに歌手の竹内まりやさん、大貫妙子さん、EPOさんらの作品も手がけた。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/193165

世界的に再評価されている1980年代の「シティポップ」*3。それはMIDI*4というレコード会社の音楽だったと言っても過言ではないだろう。さて、大貫妙子さんの『TCHOU』は大貫さんも宮田氏もMIDIを去った後の作品だが、宮田氏がプロデュースしている。これは大貫さんの作品の中でも伯剌西爾性が最も強いもののひとつ。宮田氏のキャリアからは、段々とボサ・ノヴァ或いは伯剌西爾に惹かれていったということがわかるのだけど、最初の契機はどんなものだったのやら。
Tchou(チャオ!)

Tchou(チャオ!)

  • アーティスト:大貫妙子
  • ユニバーサル ミュージック (e)
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