正秋がいた

ぶるぶるMusao*1立原正秋、私には最高の作家である」https://bullbull-musao.hatenablog.com/entry/2023/05/24/203803


立原正秋*2という名前を久しぶりに見た。


立原正秋を読みはじめたのは、何時だったろう。高校生の時には読んでいた。

高校生の夏、自転車旅行中のユースホステルのテレビのニュースで、彼の死が報じられていた。

そして大学生の頃はとにかく読んだ。


未来が無限にあると思っていた当時の私は、立原正秋の世界に魅了されていた。

何か、日本の亡びいく文化を感じた。

そして、立原正秋は、そんな日本の美を求めて彷徨していているように思えた。

訃報のことが出ているが、彼が歿したのは1980年のこと。既に40年以上前のことだ。享年が54歳だったというのも軽く驚く。1970年代には本屋の文庫本の棚には2桁のタイトルの立原正秋本があった。現在では考えられないことだろう。
さて、立原正秋はその自己神話化(self-mythification)というか、自らをひとつのフィクショナルなキャラクターとして構築したことも知られている。「立原」という苗字は筆名として彼が自ら選んだものだけど、「立原」ということだと、どうしても詩人の立原道造*3を想起してしまう。彼が「立原正秋」になったときに、「道造」を意識したのかしなかったのか。
立原正秋の自己神話化については、例えば、


福嶋敏雄「立原正秋 朝鮮貴族の末裔、不良自慢…も嘘、出自あばかれた在日ベストセラー作家」https://www.sankei.com/article/20151008-YMAUND6DUVJMHI7A7PKOZEQSDE/