狩りの痕跡

「徳川将軍の御鹿狩」『Ciao』(新京成電鉄)166、p.8、2023


松戸市五香西1丁目にある「御立場跡」の碑。「江戸幕府が行った「御鹿狩」で、その様子を将軍が眺めるために土を盛った場所の跡」。


江戸時代、幕府は現在の松戸市鎌ヶ谷市船橋市などの広範囲に馬を育てる牧場を設けました。やがて、その周りの「小金原」の原野に獣が増え、牧場や村々の作物を荒らすようになったため、8代将軍吉宗が1772年と1726年に、11代将軍家斉が1795年に、12代将軍家慶が1849年に行ったのが御鹿狩です。
1回目の御鹿狩では、約1万2000人の農民が獣を追い込む勢子として駆り出され、馬に乗った武士たちが弓や槍で、鹿832頭、猪5頭、狼1頭を仕留めました。

(前略)4回目に動員された農民は約6万2500人。最高権力者の将軍の姿を一目見ようと江戸や各地から見物人も押し寄せ、将軍も農民たちに酒を振る舞うなど祝祭化して民衆を魅了したといいます。

その後、御立場は壊されず、明治時代の地図に「猪見塚」と記され、大正時代の「東葛飾郡案内」には名所として紹介。昭和初期に「松戸飛行場」が開設される際に離着陸の妨げになると撤去されるまで残っていました。