八幡から豊臣へ

承前*1

実は私は八幡宮の氏子であったのだ。住んでいた町の鎮守が八幡宮だったので。実際に、七五三はその神社で行った記憶がある。その八幡宮は町の起源にも関わっている。大阪夏の陣の後、豊臣の家臣だった某が現在の千葉県習志野市に落ち延びて農民として土着した。それが町の草分けと言われる。また、土着する際に故郷の河内国から八幡宮を勧請した。千葉県(下総国)にはもうひとつ有名な豊臣の落人伝説がある。野田の亀甲萬醤油。その先祖はやはり大阪夏の陣の後に野田の地に落ち延びたという。ところで、大阪の豊臣の遺臣が遥々関東の下総に落ち延びるというのはどういうことなのか。大阪から下総に来るには徳川の本拠地である駿河を通らなければならない。さらに下総は幕府のある江戸の先である。これってリスクが高すぎないか。というわけで、千葉県の豊臣落人伝説はどうしても信じられないところがある。