太平記時代

戸井田道三『観阿弥世阿弥』から。


観阿弥の一生は、ほとんど『太平記』の時代にかさなるといっていいであろう。
彼の生まれたのは元弘三年(一三三三)である*1後醍醐天皇隠岐からぬけ出して名和長年らと船上山に兵をあげた年、足利高氏が北条氏をみすてて天皇方にくみした年、新田義貞稲村ヶ崎から鎌倉へ攻めこんで幕府をたおした年である。だから観阿弥は、いわゆる「建武中興」がはじまり、それがすぐ崩壊して南北朝の内乱に移ってゆく、そのしょっぱなに、この世に生まれてきたわけである。そして、五十二歳の至徳元年(一三八四)五月十九日に死んだ。
太平記』は、それよりまえ、応安三年(一三七〇)ころまでのことを書いて終わるから、成立したのは応安三年よりのち、ほとんど観阿弥が死んだころになる。観阿弥の一生が『太平記』とかさなっているわけである。したがって『太平記』を知ることが、観阿弥の生きた時代を知ることになると、いっていいだろう。(pp.8-9)

*1:一味散々の年。