『日刊スポーツ』の記事;
水野英子さん曰く、
藤子不二雄Aさん死去「安孫子、早く来いと」藤子Fさん亡くなって四半世紀、相方のもとへ旅立つ
[2022年4月7日21時55分]
日本を代表する漫画家の藤子不二雄A(本名・安孫子素雄)さん*1が亡くなった。藤子・F・不二雄(本名・藤本弘)さんは96年に死去。かつて「藤子不二雄」*2の共同ペンネームを使っていた2人は、ともに鬼籍に入った。
小学生時代からの友人だった藤子Fさんが96年に亡くなって四半世紀…。藤子Aさんが相方のもとへ旅立った。神奈川県警によると、7日午前8時40分ごろ、自宅で1人で倒れていると通報があり、死亡が確認された。藤子スタジオは「88歳で永眠いたしました。これまで応援いただいた読者の皆様、関係者の皆様に深く感謝申し上げます」とコメントを発表した。
藤子Aさんは、富山県氷見市の光禅寺住職の父を亡くし、1944年(昭19)に高岡市に引っ越し、高岡市立定塚小5年2組で藤子Fさんと出会った。漫画好きで意気投合し、高岡中に進むと漫画誌「少年倶楽部」を参考に漫画を描き始めた。手塚治虫さんの「ロスト・ワールド」に感銘を受けて漫画家になると決意。51年に「毎日小学生新聞」に送り、掲載された共作「天使の玉ちゃん」が、事実上のデビュー作となった。
藤子Fさんは高岡工芸高を卒業して就職した製菓メーカーを3日で退社したが、藤子Aさんは高岡高を卒業後、52年に富山新聞社に入社し、記者として2年勤務。ともに漫画を書き続ける中、54年に漫画家の寺田ヒロオさんの誘いを受けると、退社して藤子Fさんと上京した。東京・豊島区のトキワ荘に住む手塚さんを訪ねた日から手伝いを始め、後に手塚さんが使っていた14号室に入れ替わりで住むように。同年の読み切り作「宇宙鉱脈」から、コンビ名を藤子不二雄とした。
64年に共作した「オバケのQ太郎」が大ヒット。その後も、藤子Aさんが「忍者ハットリくん」「怪物くん」を、藤子Fさんが「ドラえもん」をそれぞれ描き、2人は藤子不二雄として児童向けのギャグ路線の大人気コンビとして認知された。一方、藤子Aさんは68年の「黒ィせぇるすまん」などブラックユーモアを効かせ、人間の心理を深掘りする大人向けの作品に取り組み始めた。作風が乖離(かいり)し始め、87年にコンビを解消も、藤子Fさんが亡くなった際は真っ先に駆けつけた。
90年に自身の漫画を原作とした映画「少年時代」でプロデューサーを務め、日本アカデミー賞で最優秀作品賞などを獲得。10年には「怪物くん」がドラマ&映画化された。15年に休載した「PARマンの情熱的な日々」が最後の作品となった。昨年4月には「トキワ荘マンガミュージアム」の内覧会に出席していた。
藤子Fさんが亡くなった際「安孫子、早く来いと言っているんじゃないかな」と語った、藤子Aさん…。藤子不二雄は、空の上で、きっと再会を果たす。
◆藤子不二雄A(ふじこ・ふじお・えー。本名・安孫子素雄=あびこ・もとお)。1934年(昭9)3月10日、富山県氷見市生まれ。52年にコンビ名を「手塚不二雄」にするが、53年には足塚不二雄に改め、初の単行本作品「UTOPIA 最後の世界大戦」を出版。54年に藤子不二雄名義に。05年に文部科学大臣賞、08年に旭日小綬章、14年に手塚治虫文化賞・特別賞を受賞。
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202204070000950.html
藤子・Aさん。あなたも逝ってしまわれるのですか。トキワ荘の勉強家のお兄様。Fさんとお二人でお仕事をしている所を一度見学したかったのですが、ちょっと遠慮で言い出せなかったのがとても残念です。皆さんいなくなってしまう。寂しいです。ほんとに寂しいです。
— 水野英子 (@MizunoHideko) 2022年4月9日
江口寿史氏*3;
藤子不二雄A先生。F先生と再会してるかな。
— 江口寿史 (@Eguchinn) 2022年4月7日
竹熊健太郎氏*4;
藤子Aこと我孫子素雄先生に一度だけインタビューしたことがあって、資料として藤子不二雄デビュー前の肉筆同人誌「少太陽」を貸してもらい家に持ち帰ったことがある。勿論すぐ返却したが、後で「なんでも鑑定団」に藤子F先生が「少太陽」の現物を持ってきて、5000万円の鑑定額が出たときはのけぞった。 pic.twitter.com/JH4cVw2VOp
— 竹熊健太郎《地球人》 (@kentaro666) 2022年4月7日
「少太陽」が何冊あるかは知らないが、我孫子素雄・藤本弘の2人で2分割して保管していたものの一冊を貸してもらった。小学校高学年から中学にかけて2人で描いた肉筆原稿を綴じた冊子だが、我孫子先生は器用で色々な画風で描き分けて雑誌らしくしていたが、藤本弘氏の肉筆原画の余りの巧さに驚愕した。
— 竹熊健太郎《地球人》 (@kentaro666) 2022年4月7日
— 竹熊健太郎《地球人》 (@kentaro666) 2022年4月7日
また、
語りきれないほど多くの作品を生み出した藤子不二雄A先生の作品の中でも個人的に印象深いのが『劇画 毛沢東伝』。まるで中国共産党プロパガンダのポスター画をそのまま漫画にしたような迫力のある筆致で、人民の英雄としての毛沢東を骨太に描ききっています。 pic.twitter.com/VWNQPcH4EG
— ナッパ教司祭 (@nappasan) 2022年4月7日
後の暴君としての毛沢東の姿がよく知られていない時代における、アジアの英雄・革命家としての毛沢東の前半生を当時の熱気や空気感そのままに描いているこの作品を、今真似することなんてできないでしょう。 pic.twitter.com/pqPZVv4gDa
— ナッパ教司祭 (@nappasan) 2022年4月7日
『毛沢東の長征―中華人民共和国の青春』という題で天安門事件の描写を冒頭に加えて復刻されたこともありましたが、後の評価はどうあれ確かに一度存在した、中国や毛沢東に魅せられた世界の人達にとっての「青春」の煌めきがここにはあります。
— ナッパ教司祭 (@nappasan) 2022年4月7日
*1:See eg. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%AD%90%E4%B8%8D%E4%BA%8C%E9%9B%84A
*2:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20080802/1217698475 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20090711/1247283621
*3:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20090113/1231817407 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20150722/1437495473
*4:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/04/16/023345 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/04/16/034839 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/06/06/120521 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/04/07/161416