突如「傷痍軍人」*1がTwitterに!
先ずは竹熊健太郎氏*2のツィート;
俺の幼稚園くらい(60年代中盤)まではかろうじてこういう人が街に立ってた。 pic.twitter.com/vM205XZsjG
— 竹熊健太郎《地球人》 (@kentaro666) 2021年4月6日
そして、
僕が小学生だった80年代初頭にも阿倍野の歩道橋の上にいました。軍人恩給がもらなえない在日コリアンの傷痍軍人の人だと知ったのはずっと後のことです。 https://t.co/ZpsjQsgTqX
— ゆーすけ (@yoox5135) 2021年4月7日
傷痍軍人の人が物乞いをしているのは天王寺の歩道橋でよく見かけた。父は通り過ぎるときにさりげなくお金を渡していて、そのさりげなさを子供心に見事だと思っていたが、母は偽物だと言って私が頼んでも絶対にお金をあげなかった。四天王寺さんにお参りのときなど功徳になるので施しをする人がいた。
— 新稲法子 (@niina_noriko) 2021年4月6日
88年頃、渋谷で見かけました。ドラマ、泣いてたまるか、では渥美清が演じてたり。
— フラミンゴ (@MadShingo) 2021年4月6日
いやいや巣鴨とか老人が多い町では90年代ですらいましたよ
— かるけん (@gorira_bomb) 2021年4月6日
ウチの街には70年代後半までフック船長みたいな右手になってた人がいました。
— hirabbetaikao (@hirabettaikao) 2021年4月6日
見るたびにオフクロはイヤな顔して
『恩給を割り増ししてもらってるくせに』
と吐き捨てるように言ってたのを思い出します。
写真家篝一光による写真集「ストリート・スクープ」に、傷痍軍人の写真があります。これは90年代東京の町を写し歩いたものなので、偽傷痍だったとしても彼等は90年代まではいた様です。
— バイクマン (@hp3ZWLXb2CZAyIC) 2021年4月6日
私が小学生の頃なので80年代前半だと思いますが、宮地嶽神社(福岡県)で何度か見かけたことがあります
— ののもも (@nnmm_Levi) 2021年4月6日
楽器とかは弾いてなくて、悲しい感じの音楽を流しながら、敷物の上に座ってずっと頭を下げておられました
親には「見てはダメ」と言われてました
90年くらいでしたが大阪で見ました。
— tenteraten (@tenteraten1) 2021年4月7日
片足のない傷痍軍人さんでした。
この時代にもいるんだなと。
ちなみに父の兄、伯父さんが戦死したため
実家の表札の横に「戦死者の家」と書かれた
表札が貼られておりました
64年生まれ。
— ちょうろう On a Baby GIXXER!!(=SUZUKI GAG , RB50) (@cyourou) 2021年4月6日
70年代半ば、神奈川県平塚市の七夕祭りの会場で見かけた覚えがあります。
自分70年生まれですが、5~6歳の頃までは東京の巣鴨地蔵通り商店街の入り口に、腕を失った傷痍軍人さんとか座ってました。楽器弾く代わりにラジカセを大音量で鳴らしてましたけど。
— つむぎ紅鉄(つむぎあかね) (@Tsumugi_S_KTBK) 2021年4月7日
傷痍軍人さんですね
— 空色ノキモチ (@solachan1104) 2021年4月7日
金沢ですが、70年代前半
百貨店前の1番人が乗り降りするバス停の前にゴザを敷いて座っていた人が何人もいました。
傍らには灯籠が回っていました。
新宿の西口と東口をつなぐ地下通路で1996年に見ました。ただ通路に座っているだけでしたが、軍服は着ておられました。
— 桐生 健志 (@kame_1223) 2021年4月7日
はじめまして 正月の成田では90年代のはじめくらいまでおみかけしました
— 大杉ぴゅう太 oosugisakura (@oosugisakura) 2021年4月6日
69年生まれ札幌出身ですが、傷痍軍人は80年頃まで中島公園での北海道神宮例祭で見かけました。軍服姿でゴザの上に座っていたり四つん這いになっていたり。小さい頃初めてその様子を見て「かわいそう」と言ったら、母から「あの人たちは恩給を貰っているから大丈夫だよ」と言われた記憶があります。
— ふにふにかめゆき (@funikame) 2021年4月6日
幼稚園時代(1977-80年)に柴又帝釈天でよく見たし、80年代前半も上野公園の大階段、浅草寺に傷痍軍人いましたぜ。夕方、店じまいするとスタコラサッサと駆け出すニセモノも
— 屋良センヌ (@EAH6kCnsxDqubZl) 2021年4月7日
また、竹熊氏;
いろいろな人から「70年代末まで普通に見かけた」というご意見をいただきました。私、70年代は神奈川県と千葉県に住んでいましたので、さすがに見かける機会がありませんでした。80年代から東京にいましたが、ホームレスは見ましたが、傷痍軍人は見た記憶がありません。
— 竹熊健太郎《地球人》 (@kentaro666) 2021年4月6日
私が「傷痍軍人」を最後に見たのは1970年代前半。千葉県の成田山や上野公園だったと思う。「傷痍軍人」がいなくなったのが何時頃なのかは知らない。けっこう最近目撃したという人もいるようだ。また、「傷痍軍人」はトータルで何人くらいいたのか。何万或いは何十万という多数ではなかったと思う。もしそうだったとしたら、右翼でも左翼でも「傷痍軍人」を政治的に組織しようとする潮流が現れて、日本遺族会には到底及ばないにしても、それなりのインパクトを持った筈だからだ。
竹熊氏が示した写真の出典はわからないが、「ギターを抱えた」「傷痍軍人」というのは珍しいと思った。
*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070220/1171940888 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071018/1192722913 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080218/1203345168 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101015/1287072242 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101019/1287460367 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101022/1287772456 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120213/1329146184 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130626/1372259831 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20160924/1474730405
*2:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/04/16/023345 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/04/16/034839 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/06/06/120521