1月28日より入院してたんですが、本日、17日木曜日10時4分、綾瀬循環病院様に療養してたんですが、心不全にて、永眠しました。皆様、大変お世話になりました。誠に、ありがとうございました。
— 松鶴家千とせ (@c_shokakuya) 2022年2月17日
『日刊スポーツ』の記事;
それにしても、『独占!男の時間』なんて、高齢者以外には「 わかんねぇだろうなぁ」!
漫談家の松鶴家千とせさん死去84歳「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」 ツービート「師匠」
[2022年2月17日15時42分]
ビートたけしとビートきよしのお笑いコンビ、ツービートの“師匠”として知られる、漫談家の松鶴家千とせ(しょかくや・ちとせ、本名小谷津英雄)さん*1が、17日、心不全のため都内の病院で死去した。84歳だった。
先月28日に風邪をひいた際、心筋梗塞を起こし入院。バイパス手術のための検査を予定していたが、17日朝に容体が急変したという。葬儀は19日に家族葬で行われる。先月19日にはYouTubeで動画を配信。今月27日には浅草・木馬亭で主催の公演を予定するなど、入院直前まで精力的に活動していた。
公式サイトでも訃報が公表され、「1月28日より入院してたんですが、本日、17日木曜日10時4分、綾瀬循環病院様に療養してたんですが、心不全にて、永眠しました。皆様、大変お世話になりました。誠に、ありがとうございました」とつづられた。
千とせさんは、生まれ故郷の福島・原町(現南相馬)から、1953年(昭28)にジャズシンガーを目指して上京、夫婦漫才の松鶴家千代若・千代菊に入門した。歌手修業を積んでいたが、60年に漫才コンビ、西秀一・秀二でデビュー。67年に漫談千とせ流家元の3代目松鶴家千とせを襲名した。特徴的なアフロヘアーと「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」のフレーズで人気を得た。
今年初めに掲載された日刊スポーツのインタビューでは、ツービートとの出会いについて「名古屋の大須演芸場に出ていた時に、たけしときよしが2人で訪ねてきたんだ。最初は松鶴家二郎・次郎って名前だったんだけどね。NHKのコンクールで初めてテレビに出た時に、松鶴家は古いって言うから『ザ・ビート』はどうかってね。それで『ツービート』になったんだ」と回想。親交のあった俳優山城新伍に頼んで、山城が司会を務めていた東京12チャンネル(現テレビ東京)の深夜の生バラエティー「独占!男の時間」にツービートを出演させたことがあったことなどを明かしていた。
◆松鶴家千とせ(しょかくや・ちとせ)1938年(昭13)1月9日、満州生まれ。第2次世界大戦後、日本に引き揚げ福島県原町市(現在の南相馬市)で育つ。53年に上京、松鶴家千代若・千代菊に入門。75年発売シングル「わかるかなぁ わかんねぇだろうなぁ」が160万枚の大ヒット。76年映画「トラック野郎・望郷一番星」*2。全国さつまいもの会会長。
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202202170000614.html
*1:http://www.shokakuya.sakura.ne.jp/ See eg. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E9%B6%B4%E5%AE%B6%E5%8D%83%E3%81%A8%E3%81%9B
*2:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20141201/1417448546 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20150419/1429460881 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/04/29/090645