瀬川昌久

年の瀬に、村井康司氏のツィートで知った。


朝日新聞』の記事;

音楽評論家の瀬川昌久さん死去 月刊「ミュージカル」元編集長
2021/12/29(水) 22:37配信


朝日新聞デジタル

 音楽評論家で日本ポピュラー音楽協会名誉会長の瀬川昌久(せがわ・まさひさ)さん*1が29日、肺炎で死去した。97歳だった。葬儀の日取りは決まっていない。喪主は妻摩里子(まりこ)さん。

 東京都出身。幼い頃からミュージカル曲やジャズを好んだ。1950年代、銀行員として米ニューヨークに滞在。デューク・エリントンらの演奏にふれた。帰国後、ジャズとミュージカルの評論を手がけ、月刊「ミュージカル」編集長を務めた。著書に「ジャズで踊って 舶来音楽芸能史」などがある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a3d0853401f9562c63365ee1ca4a876b040937b2

 
蓮實重彦先生が語る瀬川氏のエピソード;

(前略)1941年12月8日に、日本は米国・英国に宣戦布告しました。ちょうどその時東大を目指す高校生だった、ジャズ評論家の瀬川昌久さんという方がおられます。瀬川さんは戦争が始まった12月8日の真夜中過ぎに、米国の音楽であるジャズの『愛のカクテル』という曲を大音量で流した。東大を目指しているが、戦争がどうなるかも分からない。そういうやるせない思いをぶつけたのでしょう。彼は戦時中ずっとジャズを聴いていたといいます。
(分部麻里「「嘘を嘘と示せる自信を」 東大元総長の三島賞作家」http://www.todaishimbun.org/otameshi_interview20170317/ Cited in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170317/1489725152