瀬川昌治

東京大学新聞』による蓮實重彦インタヴューでジャズ評論家の瀬川昌久*1のことが言及されていた*2瀬川昌久氏の弟には映画作家瀬川昌治がいる*3。もしかしたら、蓮實先生もその繋がりで兄を想起したのかも知れない。
さて、兄の昌久氏は健在だが、弟の昌治は昨年の6月に90歳で亡くなっていたことを知る。
J-CASTニュース』の記事;


映画監督の瀬川昌治さん死去 「列車シリーズ」「スチュワーデス物語
2016/6/26 11:23


映画「列車シリーズ」やテレビドラマ「スチュワーデス物語」などを手掛けた映画監督の瀬川昌治さんが2016年6月20日、老衰のため東京都内の自宅で死去した。90歳だった。各紙が25日に報じた。

東京生まれ。1960年に映画「ぽんこつ」で監督デビュー。その後、故渥美清さん主演の「列車シリーズ」などのコメディー映画を多く手掛けた。テレビドラマでも、山口百恵さんの「赤いシリーズ」や「スチュワーデス物語」など多くのヒット作品の演出に携わった。
http://www.j-cast.com/2016/06/26270693.html

週刊新潮』の記事;

90歳で大往生の瀬川昌治監督 三島由紀夫との交遊も


渥美清が「男はつらいよ」以前に主演した喜劇映画に、1967年に始まる東映の「列車シリーズ」がある。40歳目前の渥美が、車掌などを人情味豊かに演じた。

 去る6月20日に、90歳で大往生を遂げた、瀬川昌治監督こそ、この「列車シリーズ」やフランキー堺主演の「旅行シリーズ」などを手がけた喜劇の名手だった。

 25年、神田生まれ。平岡公威、後の三島由紀夫が、学習院で初等科から高等科までの先輩にあたり、親しく話す仲だった。

 ジャズ評論で名高い、兄の瀬川昌久さんは振り返る。

「昌治は三島さんを尊敬して慕っておりました。国文学者の清水文雄先生に学び、文芸部でも一緒。文学だけでなく映画についてもよく話していたようです」

 三島が時代劇のファンと知って嬉しかった、と後に瀬川監督は述懐している。

 42年、三島が編集を担っていた校内誌の輔仁会(ほじんかい)雑誌に投稿した文章が、編集後記で誉められたこともある。

 復員後、東京大学文学部に進み英文学を学ぶ一方、野球部ではレギュラー選手。49年、新東宝に入り、60年に東映で監督デビューした。

 70年代半ばになると、映画よりも山口百恵の「赤い」シリーズなどテレビドラマでの演出が増えたかと思ったら、日活ロマンポルノの監督に初挑戦して驚かせた。

 84年の「トルコ行進曲 夢の城」の主演は奈美悦子、原作は風俗取材の第一人者、広岡敬一のドキュメントだ。風俗嬢の悲哀とたくましさ、プロ根性まで描き、しかも笑いを誘う。さすがの人情喜劇になっていた。

「笑わせることの難しさを知っていた。瀬川さんのような職人監督が映画界を支えてきたのです。厳しい条件下でも質を落とさず、時代の気分をくみ取り、観客を楽しませてきました」(映画評論家の白井佳夫さん)

週刊新潮2016年7月7日号 掲載
http://www.dailyshincho.jp/article/2016/07090550/?all=1

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渥美清国鉄の車掌を演じた『喜劇急行列車』、『喜劇団体列車』、『喜劇初詣列車』はたしかTVで視た記憶がある。でも、私にとって映画作家としての瀬川昌治というイメージが薄いのは、1970年代には既に軸足をTVドラマに移していたからだと思う。瀬川さんは『スチュワーデス物語*4の演出にも参加していたわけだが、蓮實先生が『スチュワーデス物語』を賞賛して、それを中村とうよう*5が『ミュージック・マガジン』でdisるという事件があったかと思う。ただ、蓮實先生の原文は読んでなくて、ただ〈『スチュワーデス物語』を褒めた蓮實をdisる〉中村とうようの文章を読んだことがあるのみ。