久保田万太郎

荒川洋治*1「典型的な経験を映し出すことば」『毎日新聞』2021年10月9日


久保田万太郎俳句集』(恩田侑布子編)の書評。


飾らず、高ぶらず、日々の感興をつづった。生れ、生まれ、学び、師を敬い、季節に心を合わせ、楽しい友人を得、恋をし、家の中と外を知り、犬や猫といっしょの地面に立って、街を歩き、そして愛する人を亡くし、あとはひそかに老いてゆく。下町を舞台に、大きくはないが、小さくもない典型的な日本人の暮らしを映し出した。かけがえのない経験を記す日本語のありかたを思いつづけた。特殊な、人と人を分けへだてる、冷たいものではなく、気持ちが存分に生きる、あたたかみのあることばを、久保田万太郎*2は探し求めた。
「したゝかに水をうちたる夕ざくら」「ぬけうらを抜けうらをゆく日傘かな」「あきかぜのふきぬけゆくや人の中」。これらはみな、久保田万太郎の句だ。日本の春秋のすべてが見えるような気持ちになる。近代の散文が、ほんとうはもっと心をこめて書きたかったことの多くを、久保田万太郎は句のなかに表した。