内田洋子『対岸のヴェネツィア』

内田洋子*1『対岸のヴェネツィア』を数週間前に読了した。


雨に降られて、美術館
所詮、ジュデッカ
コンサートに誘われて
セレニッシマ 穏やかな、そして穏やかな
陸に上がった船乗り
エデンの園
土の抱えるもの
紙の海
読むために生まれてきた
揺れる眼差し
女であるということ
ゴンドラ


あとがきにかえて 両岸を往ったり来たり


解説(パオロ・カルヴェッティ)

著者は伊太利在住のジャーナリスト。ミラノに住んでいたが、思い立って、ヴェネツィアを構成する離島のひとつ、ジュデッカ島*2に移住する。地元民でも観光客のような短期滞在者でもない長期滞在者として腰を据えての、 ジュデッカ島、ヴェネツィアについての省察。また、知り合ったご近所の話。
内田さんは数多くの伊太利についての本をものしているようだけど、今まで全然読んでいなくて、凄く損をしたような感じがした。
ところで、

故あって、木造帆船に住んだことがある。はじめは、春夏と過ごせば十分だろう、と思っていた。船は航海歴六十年を超える年代物だったうえ、長いあいだ浜に引き上げられたままだったためにひどく傷んでいた。甲板はあちこちが剥がれて反り返りそのせいで船室の天井にはいくつも染みがあった。老朽化が進み建て付けが悪くなった家と同様、あちこちから隙間風が入るので、暖房のない船上には夏が終わると住めないだろうと思っていた。
ところが結局、船上生活は六年間にも及んだ。船から降りたのは、帆柱を通していた甲板の穴が長年の波動で変形してしまい、ぐらつくようになったからだった。
「船の要が揺らぐようになっては、もう潮時だ」
修繕しても自在に航海するのはもう無理、と船長は判断した。船は、海原に出てこそ。港にただ碇泊しているようでは、葬られたも同然だ。陸に船を引き上げ、船上生活は終わった。
その後、潮の香りや波の音から離れて暮らしていた。(「所詮、ジュデッカ」、pp.23-24)
そして、

ヴェネツィアのことを〈水の都〉と呼ぶ人がいるけれど、そうだろうか。
漁師や船乗りたちが下船するとき、「揺るがぬ大地に着いた」と言う。揺るがぬ地である大陸と、いつ沈むかもしれない干潟のあいだに揺蕩うのは、〈動かぬ海〉だ。外海から内海に流れ込み、そこに滞る水に、ヴェネツィアは囲まれている。それは海の端というか、海の成れの果てというか。もはや飛沫を立てず、流れと渦を失い、潮騒を忘れ、ひたりと空を見上げている。ここに世界の東と西が寄っては離れ、入り混じり、新しい時代が生まれては消滅し、いくつもの過ぎた時が沈殿していった。海は不要になったものを外へ連れ出し濾過していくのに、ヴェネツィアでは淀み、澱となる。そして何かの拍子に浮かび上がってきては、いま陸にいる人をどきりとさせたり懐かしがらせたりする。
(略)
陸に引き上げられ二度と海に戻ることのなかったあの古船と自分を重ねながら、海のようで海でない〈自由の橋〉を渡り、ヴェネツィアに着いた。(p.24)

*1:See eg. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E6%B4%8B%E5%AD%90

*2:See eg. alex @venezia「束の間のジュデッカ島探検☆もう一度行きたいオステリア」https://ameblo.jp/alex-venezia/entry-12621228984.html MIKI「何がある?ジュデッカ島」https://hosigo.com/kiji/writer-miki/venice09.html material115「ジュデッカ島散策」https://material115.blog.fc2.com/blog-entry-1250.html https://en.wikipedia.org/wiki/Giudecca