Malala says

承前*1

タリバンのカブール入城を巡ってのマララ・ユスフザイさん*2のツィート;


因みに、マララさんを襲撃した「パキスタンタリバン運動」という組織は、(アフガニスタンの)「タリバン」とは(提携しているという側面はあるものの)直接の関係はない。まあ、「タリバン」というのはそもそも学生運動というくらいの意味しかないのだった。アフガニスタンパキスタンタリバンはさらに複雑な関係にある。アフガニスタンタリバンのけつ持ちがパキスタンの軍部であることは公然の秘密であるが、「パキスタンタリバン運動」はパキスタン政権打倒を掲げている。

さて、

生田綾「マララさん「女性やマイノリティを心配している」 タリバンアフガニスタン掌握で声明」https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6119b4f3e4b0a2603b7f1568


上掲のツィートを紹介している記事。この中に、(タリバンは)「厳格なイスラム教の解釈を持ち、1996年から2001年に政権を握った際には、女性の教育や就労を禁じた」という文言がある。タリバンに限らず、原理主義が紹介される場合、「厳格な」「解釈」というのは常套句になっているようだ。しかし、この言い方は深刻な問題を孕んでいる。イスラームの神学や法学に全然精通していない者が何を根拠にイスラーム解釈の精粗を決めるのかという問題が先ずあるけど、それは置いておく。この文言からは、非原理主義的なムスリムの「イスラム教の解釈」はいい加減だということが論理的に導き出されてしまうのでは? さらに、イスラームはいい加減であれば容認できるが「厳格な」それは容認できないという含意も持ってしまう。狭い解釈/緩い解釈という対立を使った方がいいのではないかと思った。