どういうわけか、マルクス主義哲学者の梅本克己*1についてネット検索をしていた。
「目黒さつきビル」というところに「労働資料館」があり、そこに「梅本克己文庫」がある*2。
この「労働資料館」「目黒さつきビル」の運営主体は「一般財団法人 日本鉄道福祉事業協会」で、その前身は1966年設立の「財団法人 動力車会館」だったのだ*3。要するに、かつての動労本部。
当館には、梅本氏が亡くなったときに所有していた蔵書がすべて寄贈されています。
まず、「梅本克己著作集」全10巻や編集に関わった「岩波講座 哲学」全18巻をはじめ、梅本氏が執筆したほぼすべての著作、抜き刷り、「思想」「展望」「現代の眼」などの論文掲載誌、全国紙や「新いばらき」を含む新聞各紙、ミニコミ紙や党派機関紙があります。たとえば、経済学者降旗節雄氏との論争に関して「著作集」では梅本氏分のみですが、当館のファイルでは時系列でやりとりがわかります。梅本氏没後の追悼記事などもそろっています。
蔵書は、哲学を中心に明治期のもの、中学、高校、大学時代の書籍を含め約3000冊(うち戦前の資料約900冊)、戦前の「思想」「文学」を含む定期刊行物が約1000冊あります。そのほとんどに書込が見られ、学問への打ち込みようをうかがえます。また、学究上で関わり贈呈された抜き刷りが多数あります(鈴木亨、芝田進午、大井正、安東仁兵衛…)。
ほかに原稿、ノート、日記、手帳、書簡などがあります。原稿は、大学の卒業論文である「親鸞における自然法爾の論理」が大切に保管されていた他、出版社から戻された原稿の束が残されています。ただ、多くが数枚単位の断片になっており、整理には多くの時間を要します。
ノートは学生時代から研究に携わって以降のものを合わせ100冊以上が残されています。その他に、ノートに記載されたものを含めて日記として書かれたものがあり、大部分は著作集に収録されていますが、未掲載のものが一部あります。さらに日常のスケジュールを管理していた手帳が1952年から亡くなる直前まで残されています。
また、丸山眞男、清水幾太郎、梯明秀、津田道夫の各氏から梅本氏に宛てた書簡のほか、手紙類が180通ほど、はがきは年賀状を含めて650通ほどが残されています。